2018年3月5日月曜日

漁師町のなごり──浦安_1

2018.2.12【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_2

 ※新設ページでは、以前のレイアウトが使用できなくなりました。

 浦安=ディズニーランドのイメージですが、以前の漁師町のなごりをたどってみたいと思っていました。



 卸し+個人への販売も行う総合魚市場は、一般の鮮魚店が集まるイメージに近く、築地からの仕入れ+産地直送や自家製加工品も扱うがセリはないらしい。
 その場でさばいた鮮魚や焼きハマグリなど市場の味を堪能できますが、営業時間は4:00〜12:00。
 実物大とされるクジラの看板(右中央下の青い看板)があるのは、江戸時代に徳川家直轄地とされ、紀州から多くの漁民が移り住み、巻き網でマグロやクジラ漁をしたことのアピールか?
 当時は大型の魚が東京湾を回遊していたようです。



妙見島対岸

 目と鼻の先の光景を、手をこまねいて眺めるしかない辺境地(県境)のジレンマが感じられます(奥の妙見島は東京都)。
 以前、妙見島からこちら岸を見た際、コンクリート護岸が続き冷たい景色と感じたが、こちらから島を見ると、事故の際にとばっちりを受けそうな不安感を覚えます。

 手前は屋形船の桟橋で、昼間には海への期待感を抱けませんし、夜のライトアップが無いとしても、目の前の現実と非日常的な船遊びのギャップは、リフレッシュできそうと。



 埋め立て前の海に囲まれた時分に建立され、海の神(大綿積神:おおわたづみのみこと)を祭る神社。
 境内には、石を積んだ富士塚や、オランダ人技師が江戸川・利根川の水位観測をするために設置した、日本の河川測量の原点とされる日本最古の水準標石があります。
 驚いたのは、江戸時代の元禄年間(1688年-1704年)・享保年間(1716年-1736年)・寛政年間(1789年-1801年)に津波の被害を受けたとの記録です(高潮の可能性も)。
 当時は低湿地で防波堤が無いにしても、神社が津波被害を受けた歴史はきちんと分析すべきと。
 車のお祓いは、ドアを全部開いて行うようです(右)。




 戦後から漁業が盛んになった境川は漁船で埋め尽くされ、早朝は海へ向かう船が数珠つなぎになったそう。
 当時、川に並行する一番通り(現フラワー通り)には、映画館・演芸場・寄席小屋・魚市場 等がありましたが、漁業権放棄〜浅瀬の埋め立て〜東西線開通により、にぎわいは駅周辺へと移ります。
 ですが以前、天才たけしの元気が出るテレビ(リンク先YouTube)に取り上げられ一瞬の夢を見たためか、保存される旧宇田川家住宅(上:明治2年)、旧濱野医院(右:昭和4年)などを中心とした観光スポット化を目指すようです。整備された境川(下)を含め、+αがあれば関心は高まりそうですから、決め手は「地元の食」ではないかと。




 上の古地図のリンクから、周辺が集落の中心地だった様子がうかがえます。
 地図に見える「猫実:ねこざね」の地名は現在も健在。由来は、永仁元年(1293年)大津波で社殿が流されたため、津波対策として築いた堤防の上に大きな松を植え、波が松の根を越さなぬよう「根越さね」の祈りが猫実となったらしい。
 歌川広重の名所江戸百景「堀江根古ざね:リンク先右端の林の中の建物が当神社」に描かれるように、当時はのんびりとした浜辺だったようです。




 地盤沈下対策で境川に水門が造られたため、川に係留できなくなった船の移転先となりますが、漁業資源の減少や従事者の高齢化から、係留される船は減少傾向とのこと。
 東西線の車窓から、荒川でアサリ漁(?)をする小舟をたまに見かけますが、船の数が少ないのは漁業資源が少ないためかと。
 前回触れた旧江戸川架橋計画(仮 堀江橋)の対岸にあたり、工事が始まると一時的な影響でも船を手放す人が増えそうと。
 ドックとは、船を陸揚げ修理をした地の通称。




 1971年漁業権全面放棄〜浅瀬の埋め立て以降、郷土資料の収集・保存の気運が高まり、2001年郷土博物館が開館します。
 漁師町を再現した町並みには貝殻が敷かれており、ガキ時分に漁港や海岸近くの道をシャリシャリ踏みしめ歩いた記憶がよみがえります。
 付近を舞台にした小説「青べか物語:1961年 山本周五郎」(青べか:一人乗りの平底舟)には、当時の生活が描かれるため、地域を語る上で欠かせないバイブルらしい。
 ベーゴマで遊ぶ右の男の子は結構上手ですが、シャッターが少し遅かった……


追記──NHK大河ドラマ『西郷どん─SEGODON』快調

 イメージが結びつかない鈴木亮平ですが、実直で質実剛健な西郷さんに全身で挑むようで、好感を持ちます。
 物語は西郷が江戸に出てきたばかりですが、番組終わりに流れるゆかりの地紹介に「江戸薩摩藩邸跡」として、芝にあるNEC本社、三菱自動車本社付近の映像が登場した際、「あぁ、そこ、そこ」と近所を指すような反応をしてしまいました。
 もう、東京マラソンの応援もできない地に転居したのに……

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