2018年12月3日月曜日

Welcome ! では負けない──成田

2018.11.17【千葉県】

 千葉方面を歩く際に、成田空港行きの電車を見かけても「ちょっと遠い」と誘われなかったが、千葉県の締めにと気合を入れて足を伸ばします(片道2時間弱…)。寺も空港も数十年ぶりの訪問で記憶も薄れているため、新鮮に映りました。



 前回の訪問は30年以上前(印旛沼の現場作業の合間か?)と思いますが、にぎわう雰囲気は変わらないように感じます。当時は東京でも外国人旅行者をそれほど見かけなかったが、付近の密度はさすがに国際空港お膝元の印象がありました。
 外国人旅行者がこの地を訪れるタイミングは、帰りがけの時間調整ではないかと。わたしなら、航空機で到着したらまずは目的地(宿に荷物を置きたい)へ向かうと思うので、出発前に余裕があれば立ち寄ろうか、と考えそうです。
 一帯のにぎわいは期待を裏切らないと思うし、五ヶ国語のパンフレットを用意して、Welcome ! と歓待するインターナショナルな雰囲気は浅草に負けてませんが、外国人ってうなぎを食べられるだろうか?

 参道には、せんべいやうなぎを焼く香ばしい匂いが漂います。近頃うなぎを口にする機会が減りましたし、これだけ誘われては無視できないと思ったものの、人気店はどこも行列で値段もさすがですから、あっさりくじけてせんべいをかじります。
 これも30年以上前に、利根川の仕事で佐原のうなぎ屋(割烹旅館)に泊まり、出されたうなぎが美味しかった記憶がありますが、いまどきは輸入物になってしまったか。
 上は、江戸期創業の大野屋旅館(建物は昭和初期)で、3階建ての上に望楼があります(現在見学不可)。並びの大きな旅館は成田詣りの減少から廃業したようですが、現在も各地に成田講組織は健在で成田参詣が行われるらしい。
 右は成田山一粒丸三橋薬局(和漢生薬漢方)で、土蔵造りの店構えには、薬への自信が感じられるようにも。



 祭礼ではないのに境内に出店が並ぶ様子に、天気のいい日だけ店を開けば生活できそうと思ったりしますが、一等地なので競争は激しそうと。
 また、西側駐車場からの参道にある三角形の奥山広場には、飲食店・土産物店・易断所(占い館)が並んでおり、昭和な観光地風情が残ります。

 本寺は江戸時代の出開帳(本尊の出張公開)で関心を集め、歌舞伎役者 初代市川團十郎の不動明王の芝居が人気となり、成田参詣ブームが起こります。
 明治期以降、寺の「身代わり札」が「鉄砲玉から身を守る札」として軍人に信仰されたことから、戦争に積極的に協力したため信頼を失いますが、自動車の交通安全祈祷で支持を取り戻します。

 寺の起源は、平安時代の平 将門の乱を封じるため、京都 高雄山 神護寺の不動明王像を運び祈祷したところ、将門は戦死するも不動明王像が動こうとしなかったため、この地に神護新勝寺が開かれます。そのため将門を祭る神田明神の氏子等には、本寺を参拝しない風潮が残るらしい。

 いかつい容姿の不動明王が「お不動さん」として親しまれるのは、「煩悩の泥の中で人々を救済する」身代わり信仰や、真言宗、天台宗、日蓮宗、禅宗等多くの宗派で信仰され、身近な信仰対象とする人が多いためかと。

 付近の紅葉はまだ「色づき始め」段階でしたが、下の成田山公園 浮御堂の二胡演奏では、床の赤い敷物が日差しを受けて堂内を染めています。





 以前の記憶と比較すると、アジア系の旅行者が増えたため、欧米系の旅行者比率が低くなったような印象を受けます(エスカレーターで階下に降り出発ゲートへ向かったこと、いま思い出しました。映画でも観たと…)。

 先日京成線 勝田台駅から特急に乗った際、成田空港から乗車する外国人旅行者の多さに驚かされました。われわれは成田空港は遠いとの認識から、スカイライナー or 成田エクスプレスと考えるも、彼らは節約のため(?)在来線の特急に乗るのかと。
 そのアンサーは、空港駅の特急券購入窓口の行列が長いため、あきらめて在来線に乗る人が多い、だったようです。応対に時間がかかりそうで、わたしもあの行列には並ばないだろうと(個人旅行客が増えたせいもありそう)。

 ターミナル間(第一・第二)シャトルバスの女性運転手の日本語があやしかったが、国際空港という場所柄では海外出身の運転手がいてもおかしくないと、受け止める側も「通じればOK !」と寛容(?)になったりします。

 今回で一連の千葉散策は終了にしようと思います(やはり成田は遠かった…)。
 初めての場所が多く楽しく歩けましたし、開発が進められる地域には、神奈川県 横浜市の丘陵地と同様の課題を持つ様子が見て取れたように。現居住地は千葉県との県境に近いので、また出かける機会があると思います。

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