2021年2月1日月曜日

宝の海の記憶──浦安

2021.1.16【千葉県】

 前回の旧江戸川から対岸の浦安を眺め、漁師町の面影が残る町並みを歩きたくなり、都心方面は気分的にNGでも千葉方面ならいけそうと、都県境の川を越えました……



 機会があれば酒の肴を物色に、と思っていた浦安魚市場は2019年に閉場され(建物の老朽化、耐震強度不足 等による)、市場の閉鎖には時代の移り変わりを感じたりします(店舗の移転先はバラバラらしい)。上奥は跡地に工事中のマンション(店舗も入る)で、道を挟んだ手前に海苔店がポツンと残りますが、その区画にも再開発の波が迫っているように見えます。
 名が知られるアサクサノリ(浅草海苔)は種の名称らしいが、産地の総州葛西(この周辺で、葛西に白子のり本社がある)ではなく、市場のあった浅草が名称とされたもので、品川周辺(大森?)にも産地の記録が残ります。


 新川(江戸時代に開削された中川と旧江戸川を結ぶ人工河川)を通る船が浦安を目指したのは、大正期に海水浴や潮干狩りでにぎわったためで、当時から観光向けの投網漁や、鵜縄網漁(鵜の羽根を付けた縄で水面をたたき魚を追い込む)等の遊漁船が出ていたそうです。
 海を生活の場としてきた周辺には、釣り船を運営する船宿が多く、この日も戻った船から多くの釣り客が降りて来ます(平塚の船宿のような活気がある)。感染対策を押さえていれば、大手を振って出かけられそうですし、晴天で風がなければ海上は極楽です(釣果は別…)。
 左側は排水機場の太い排水管ですが、浦安市にゼロメートル地帯はほとんどないそう。
 下奥は妙見島(江戸川区)の煙突で、手前のほうきは抗議の意思表示? だとしたらお見事!


 下の奥は、地下鉄東西線 第一江戸川橋梁(旧江戸川の鉄橋で、江戸川放水路の鉄橋は第二江戸川橋梁)、手前は旧江戸川と接する境川西水門(リンク先の桜の季節にも是非!)で、漁師町の風情を残す浦安らしい情景とされます。
 徳川家康は、江戸入りに際し周辺の塩田を直轄地とし、手付かずの江戸湾に紀州から漁民を呼び寄せ海産物を納めさせました。以前はマグロやクジラが回遊したようで、水路を埋め尽くすほどの船がひしめく、宝の海だったようです。そんな場所柄から魚市場が開設されますが(外壁にはクジラの絵がありました)、時代とともに面影は薄れていくようです……


マー君(田中将大 投手)日本球界に復帰!

 契約内容は別にしても、ヤンキースとの再契約の次に日本復帰を考えていたことを、喜ぶべきでしょう。まず日本人としては、東日本大震災から10年経過した現在でも復興途上にある、地域の人々の励みになってもらいたいと、思ってしまいます。
 現役大リーガーの復帰は、日本球界に大きな刺激となりますし、チーム内の若手投手陣にとっては、目標とする選手からアドバイスを受けられ、士気が高まることと。
 アスリートらしい清々しさを持つ人物なので(記者会見の受け答えは立派でした)、応援したいし、活躍を楽しみにしています!


伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”

 当時テレビで見る姿には、特に引かれるものを感じなかったが、いま見ると「百恵ちゃんカッコイイ!」、これぞプロフェッショナルと感心しました。
 少し前に、「最後のソロアイドル:松浦亜弥」的な記事に接し、ひとりで舞台を背負い、駆け回る大変さを振り返りましたが、山口百恵の時分は舞台のセンターで歌い、曲の振りだけで引きつけるカリスマ的な魅力が必要とされましたが、十分魅せ切る輝きを放っていました。
 21歳で伝説とされたことが、ようやく理解できました……

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