2018年9月10日月曜日

先人の知恵に学ぶべき──飯山満(はさま)

2018.8.18【千葉県】──東葉高速線を歩く_2

 読めなかった飯山満の地名には、音読みを並べる古さを感じましたが、谷あいの地域=狭間(はざま)が転じた説はわかりやすい土地柄です。




 飯山満駅近くの道路整備で削られた斜面で、久しぶりに関東ローム層(関東平野の高台に堆積する火山灰層)を目にし足を止めました(上)。
 東京近郊に暮らしながらも、関東ローム層が堆積する丘陵地で生活していないことに気付かされ(田町や西葛西は旧海岸線付近)、高度成長期の海岸線拡張を目指す宅地開発に乗ってしまったためと……
 それは、関東大震災で低地が壊滅的な被害を受け、高台の丘陵地を目指した先人の経験を無視した、理に反する無謀な選択かも知れません。




 元は江戸時代の名主総代 近藤四郎左衛門屋敷の長屋門として明治中期に建てられたもので、東葉高等学校(旧 船橋学園女子高校)が近藤家の屋敷跡(昭和初期に没落)へ移転の際に修復し、正門(東葉門)とします(国登録有形文化財)。
 阪東妻三郎映画の舞台とされたそうで、ここでの大立ち回りは絵になったことと。

 この谷筋の湧水は細いながらも健在で、河畔に集まる立派な家々のたたずまいから、豊かな地だった様子がうかがえます。以前は、洪水が多発する東葉高速線が通る広い谷間を田んぼに利用し、集落は脇の細い谷筋で寄り添っていたようです。




 この地域でもっとも古い神社とされ、祭られる建御名方神(タケミナカタノカミ:開拓の神)が大国主命(オオクニヌシノミコト)の子に当たることから、王子(オウジ)の名称とされたそう。
 関東ローム層(富士山等の火山灰堆積物)の上に富士塚(右)が築かれるなど、地域の暮らしは富士山を支えに営まれたようで、富士信仰(富士講)も自然発生的に根付いたように思えます。
 付近でもっとも高い場所に見えたことから、下記の旧飯山満城の祈祷所的な施設だったのではないかと。




 以前、王子神社や光明寺を含む一帯に旧飯山満城があったとされます。
 付近に向かう道の傾斜はなだらかでしたが、飯山満川(駅の脇を流れる)側は流れに浸食された急斜面があるため、城の建設は川側の地形を生かす天然の要害を目指したように(現在は住宅地とされ名残は見当たらない)。
 飯山満川沿いに点在する洪水防止用の調整池は以前湿地だったとすると、こちらの守りは十分だったように。




 狭く急峻な谷を見た瞬間、雨水が集中する危険地域と感じたように、飯山満駅周辺にいくつもの水害防止調整池や排水機場を整備するも、被害は軽減されないようです。おそらく自治体は抜本的な改善策の試算をするも、とても支出できないとの及び腰ではないかと。
 右(隣の北習志野駅付近)のように急峻な谷には、雨水だけでなく関東ローム層上に蓄えられた地下水も流れ込むため、大雨時には想像以上の流入量となりそう。そんな谷間に介護老人施設(上の白い建物)を作るなど、根本的な発想から間違っているように見えます。
 古くからの集落が脇の細い谷筋に寄り添って並ぶのは、以前から洪水に悩まされた地域の知恵と読み取れます。その土地で生まれた生活の知恵を無視するのであれば、また一から積み上げていく覚悟が必要になります。


追記──自然災害の被害軽減を目指したい

 台風+地震の連打を食らうと、ちょっとダメージが大きい。
 一時ながらも、2017年利用者数3位の関西空港と5位の新千歳空港が同時にダウンする事態には、ショックを受けました。
 双方の被害状況から、生活が電気に縛られていると思い知らされますが、発電所の被害は避けられず、なぎ倒された電柱の代替に地下送電が可能でも、浸水の恐れがあります。
 実現に時間はかかるかも知れないが、無線による電力供給を目指せないものかと。


追記──大谷翔平選手 新たなケガ発覚

 復活と思った矢先なので安静にと思うも、今シーズンは打者として出場するとのこと。周囲の様々な見解を耳にしても、自分で選べる選択肢を検証して決めるのだそう。
 二刀流(two-way)だから可能という表現ではなく、彼にしかできないことを実現させるベストな道を模索している、と受け止めるべきと。
 もうわれわれには、選択肢を広げられる可能性は少ないかも知れないが、道を選択する際には、冷静に判断できるよう心がけねばと。


追記──江戸川区自慢

 西葛西に移転して1年になるも、地域自慢のネタを見つけられないでいましたが(生活しやすい庶民の町 程度)、区の広報誌Topに「区内アスリートがアジアで世界で大活躍!」と、競泳の池江 璃花子 選手の写真が掲載されており、これは自慢できる! と。
 「同じ人間だから世界記録にいけないわけがない」と語る彼女にとって、東京五輪は大きな目標と思うが、その後も挑み続けるのではないかとも……

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