2021年3月1日月曜日

江戸神輿を支える──行徳

2021.2.6【千葉県】

 江戸時代には水運や成田街道(成田山参道)によりにぎわいましたが、鉄道に成田詣で客を奪われ(付近に総武線を通す計画に反対したそう)、江戸川放水路(現在本流)の建設で地区が分断され、荒川開削で東京との水路が断たれ、にぎわいは失われます。



 家康は「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」と、塩田の広がる行徳一帯を幕府天領とし、塩を運ぶ水路(小名木川、新川)や成田街道が整備され、人や物資が行き交う街道筋はにぎわいました。その繁栄ぶりは「行徳千軒寺百軒」(1000戸の集落に寺社が100ある)とされ、寺社建立に腕を振るった宮大工による行徳神輿は、浅草・神田・深川 等の祭りで使われるようになります。
 上は、神輿屋御三家とされた旧浅子神輿店(2007年廃業 国登録有形文化財:現 市川市行徳ふれあい伝承館は休館中)で、日本一とされる門前仲町の富岡八幡宮一の宮神輿が作られました。
 下は、付近の材木倉庫。


 神輿屋御三家で唯一続く中台製作所(リンク先のはっぴで並ぶ姿はカッコイイ!)は、下の行徳神輿ミュージアム(休館中)を運営しています。神輿や山車を製作する現場には活気がありそうですが、職人への道は厳しいのでしょう。神輿ができるまでの、気が遠くなるような繊細で地道な作業の、知恵や工夫をのぞいて見たいと……(大きな社屋・工場の上には、誇るような飾りがあります)


 右は本行徳神明社で、カメラ背後は行徳街道に面しており、街道沿いは神社同様に、町屋のような短冊形の奥に長い区割りとされ、周囲にも名残が見られます。うなぎの寝床と表現しますが、そんな区画を輪切りにした広さの家なら「手が届きそう」、と感じてしまう時代です。

 行徳に複数ある神明(豊受)神社は、旧江戸川の対岸から遷座し、江戸時代の行徳分割の際に分祠されたもので、ルーツは同じ伊勢神宮のため、5地区の鎮守として五ヶ町祭が行なわれます。
 神輿の町だけに、祭りで担がれる神輿は立派です!(リンク先Youtube)



 上は明治期の塩問屋で、国登録有形文化財とされる加藤家住宅の煉瓦塀。行徳の塩は上質で評判は高かったものの、生産量が低いため専売化の際に廃止され、塩田は昭和初期に埋め立てられました。
 にぎわいを失ってからも、生活を支えてくれる豊かな海のおかげで、文化遺産が残されてきましたが、徐々に以前の情景は失われつつあります。


こんな状況でも、二八(にっぱち)?

 2月・8月は売上げが下がると耳にしますが、今年は町の空気に景気の悪さがにじみます。
 店舗の閉鎖・閉店が目につき(最寄駅の周辺に限れば、改装がすぐ始まる動きも見られるが)、スーパーの混雑が減り(常に強気だったイオンも守りに入った印象)、ホテルもサービス方針の転換や休館ですから(ディズニーランド・外国人旅行客の不振→春節の旅行客不在に胸をなでおろした、は本音)、お金が回らず景気が低迷するのは当然かと。
 唯一の希望とされるワクチン供給は遅れそう、新たなワクチンの承認 等々の不確定要素では、景気の先行きを見通せるわけもないので(Go to 〜 は政権のまやかし)、早めに「今年いっぱい続く」との覚悟に切り替え、逆風から推進力を生み出せそうな道を探るべきと……


都営施設閉鎖というアピール

 2月27日(土)から、都営公園の駐車場・運動施設が利用中止とされました。緊急事態宣言中も利用できた施設の突然の閉鎖は、完全に舐めきっている都民に対して、「新規感染者数の減少傾向が鈍るだけでなく、増加しつつある」とのアピールになったのではないか。飲み屋の時短営業だけでは減少しない現状を、出口が見え始め緩みそうな時期に、家族に向けて示したことは、家庭内での引き締め効果になりそうです。
 国に対しても、都は独自の対策をしているとのアピールにもなりますが、「国内感染拡大の元凶」とされる都民ですから、もう少し考えて行動しろよ! と言いたくなります。

0 件のコメント:

コメントを投稿

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...