2018年3月19日月曜日

埋め立ててはみたけれど──浦安_3

2018.3.3【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_4

 新浦安駅周辺の埋め立て地が東日本大震災で受けた液状化被害の惨状は、ニュースで見聞きしましたが、痕跡ではなく現地を実感したいと思っていました。


京葉線 新浦安駅周辺


 上は首都高速湾岸線浦安ICで、奥の高い建物付近が新浦安駅。鉄道や高速道路は重要インフラなので安全第一でルート設定されているはずが、駅周辺でも液状化被害を受けたことは、1971年完了+それ以降の埋め立てに問題があったことになります(浦安市埋め立ての変遷:前回の弁天・鉄鋼通りは1968年完了し、被害は比較的軽微)。
 生活に支障が及んだ地表を修復しただけで「もう大丈夫」との解決にはならないし、水を含む埋め立て地盤から多少水が抜けた程度と考えるべきと。
 右は、液状化の影響か不明ですが、何本もの街路樹が道路側に傾く様子。


高州明海日の出地区(液状化被害が大きかった)

 右写真左下は、旧埋め立て地(1971年完了)の護岸で、鉄塔から右側は1980年完了の埋め立て地。旧護岸が残されるのは構造上の理由らしく、当初は住民への説明が行われても、現在理解する人はどれほどいるのか(危険登るな、の看板がある場所も)。
 右の鉄塔美浜線は浦安マリーナ方面に続きますが、ディズニーランド周辺を通したくないため(徹底している)、新浦安方面から支線として舞浜に伸びるようです。

 下はがれきの山のような災害救助犬の訓練施設。TVで東日本大震災の被災犬が認定を目指す姿を目にし応援したいと思ったが、まだ国際的に通じる国内統一基準がないらしく、海外でも貢献できる環境を整備すべきと。

 一帯の埋め立て地は、陸の土砂ではなく海底から砂や泥をポンプでくみ上げ、矢板の仕切りの中に流し込んで造成したとのこと。建築物の基礎部分は補強しても周囲や道路は対象外とされ、上・下水道・ガス等の地中を通されるライフラインが大きな被害を受けました(対策を講じていれば被害を抑えられたはず)。
 東京湾岸の埋め立て地でも、新しい埋め立て地で被害が目立ったのは土壌に多くの水分が含まれるためで(地盤の安定には時間が必要)、以前の経験に耳を傾けなかったのは、早期の宅地造成が求められた時代(高度成長期)に安直な工法を頼りにしたためかと。


 右上の新浦安アートグレイスウエディングコースト(2005年)は、見栄えや景色を意識するためか盛り土の上に建てられます。被害の有無は不明ですが、そもそも分譲の時点で問題なく利用可能な土地であるべきと。
 震災から7年が経過し、表面上は被害の痕跡は見えませんが、犬の訓練施設付近には液状化対策工事用の土砂が積まれ、土曜日も重機が作業をしています。
 右の浦安市総合公園で活動する若者たちが、「住めないよね〜」と出ていくことがないよう、現在可能な対策を講じるべきかと(ディズニーランドとは異なる求心力が必要)。

 都市計画により、高層の集合住宅が密集する地区の情景から、京葉線ラッシュ時の混雑が目に浮かび大変そうと思うも、普段利用の東西線はワーストですからそれ以上のようです。
 それだけの住民が暮らす地域ながら、大規模店舗のイトーヨーカドーが閉店しました(2000〜17年)。イオン健在、ヨーカドー閉店の構図は西葛西と同じですから、ヨーカドーの戦略に問題ありと受け止められます。

 付近にはディズニーランド訪問客をターゲットとするホテルがいくつもありますが(右は東京ディズニーセレブレーションホテル)、外に出る宿泊客は少ないでしょうから、地域はうるおいそうにありません。



 埋め立て事業には膨大な予算が必要ですが、税収アップの期待感から気持ちが大きくなるのか、点在する広大な空き地は放置されたままです(住宅予定区画と思われる)。
 液状化被害のレッテルを貼られた土地利用の停滞分も、被害を受けた住民が負担させられるのでは、恨むだけでは済まされないようにも……


追記──忖度の国(忖度を誰もが読めるようになりました)

 公文書(公務の記録:国民が付託した業務の記録)に記された人名を削除するために、国の信用を損なう行為を命令する人物やそれに従う人物が、政府や国の中枢機関に所属し、税金から給与が支払われていることを、国民が信任するわけがありません。
 政治家が国民をなめていることは理解していても、政治家+中央官庁の職員に対して重い罰則を科す議論が必要な事態になるとは、国の将来を憂うばかりと……


追記──失敗にめげない精神

 平昌冬季パラリンピックに出場の村岡桃佳選手が、最終種目の回転競技途中で転倒しながらも(頭が真っ白になったと思う)滑りきって2位となり、出場した全5種目でメダルを獲得しました。
 競技レベルはまだ洗練されてないにしても、転倒から立て直して滑ろうとする姿勢に大きな感銘を受けました。その姿に勇気をもらった人は数知れないと思うし、きっとチャレンジへの後押しをしてくれることと……

2018年3月12日月曜日

稼働率の高い埋立地──浦安_2

2018.2.24【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_3

 ディズニーランドの成人式見学の帰り道、浦安駅行きバスの車窓で目にした光景が印象に残り、JR京葉線 舞浜駅の周辺を浦安市のくくりで歩きました。


 この日は舞浜駅に降り立ち、ディズニーランドとは反対側の閑散とした北口に出ます。
 整然とした戸建住宅街は、首都高速湾岸線+東京湾岸道路に面するため防音壁が築かれますが、ディズニーランドアトラクションの汽笛や、西葛西まで響く夏の花火など、好意的な意識がないと騒々しく感じそうと。(以上、舞浜地区)


弁天地区


 見明川(みあけがわ)対岸は、以前漁師が「弁天」と呼んだ豊かそうな漁場の埋め立て地(1968年)で、現在もその名が残ります。
 上の可愛らしい若木はハボタンで、ここから迫力ある姿に変貌するのだそう。

 下は白い外壁がまぶしい見明川団地(1977年 分譲・賃貸)で、不動産広告のようにリフォーム後は当然きれいになりますが、窮屈そうに見える間口は広くなりません。
 現 UR都市機構によるらしいも、付近に同様の集合住宅がある様子から「浦安スタイル」として記憶に残りそうです(敷地境界も生け垣ではなく白い壁)。



鉄鋼通り(町名)

 東京側からディズニーランドに向かう京葉線車窓は、新木場(夢の島)の温室〜葛西臨海公園の観覧車が気分を盛り上げ、シンデレラ城が夢の国への到着を告げます。
 誰もが夢を見に来ているため、その先に隣接する工場群が目に入らないことは、自治体にとっては好都合と。
 鉄資材を扱う工場・倉庫が並ぶ「鉄鋼団地」(関東随一らしい)の埋め立は、ディズニーランド建設申し出(1959年)の後を追うように動き出したとのこと。
 自治体側とすれば、レジャー施設と生産施設が同時に立ち上がる、願ってもない事業だったようです。
 舞浜駅先の車窓に広がる工業群はしばらく続きますから、かなりの広さがあります。



浦安マリーナ、浦安ヘリポート


 広い敷地を持つ浦安マリーナは、夢の島マリーナを運営するスバル興業の施設で、映画館 有楽町スバル座から始まった会社だそう(スバル座では、ビートルズ映画3本立て、TOMMYなど、音楽系作品を観た記憶が残る)。
 浦安ヘリポートは、遊覧飛行、チャーター輸送を行うエクセル航空が所有する非公共用施設で、首都圏で唯一24時間利用可能。空からの夜景はキレイでも、オスプレイに限らずヘリコプターは……

 下は倉庫等が並ぶ対岸からディズニーシーのS.S.コロンビア号を見たもので、船からもこちらの景色が見えるはずですが、ディズニーランドマジックで遮っていそうと。




浦安市運動公園

 総合体育館では以前、Bリーグ千葉ジェッツふなばしホームゲームが開催されたそう(2016-17シーズン3位)。
 日本バスケットボール界の改革を託された川淵三郎 氏が激怒したおかげで、ファンの裾野が広がったのではないか(NBAとは比較にならなくても盛り上がります)。
 オリンピック種目となり人気が高まるスケートボードでは、素人目には無茶な滑りに挑戦する姿を多く見かけます(右は階段の上から下まで飛び降りようとする姿)。新しい技へのチャレンジには失敗がつきものですが、コンクリートの上で何度もコケる姿に、足首等をねん挫しないか心配になります。

 下の「躍動の門」には、好感と共に岡本太郎の名を想起し、素晴らしい芸術家であることを納得させられます(人格には疑問を感じるが)。



追記──イチロー、マリナーズ復帰!

 「花道は彼をもっとも愛するシアトルで」とは日本人の勝手な解釈で、活躍を期待されホームに招かれたことを誇りにプレーして欲しい、というのが彼らの本意なのでしょう。
 メジャーリーグ球団は温情では動かず、チーム状況や収支の見込み等で判断するドライな雇用主なので、今年活躍しても来季以降は保証されません。
 とはいえ、きっとシアトルのファンは心から歓迎してくれますから、このチャンスを生かして、大リーガーライフを楽しむ=活躍してもらいたいと。

2018年3月5日月曜日

漁師町のなごり──浦安_1

2018.2.12【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_2

 ※新設ページでは、以前のレイアウトが使用できなくなりました。

 浦安=ディズニーランドのイメージですが、以前の漁師町のなごりをたどってみたいと思っていました。



 卸し+個人への販売も行う総合魚市場は、一般の鮮魚店が集まるイメージに近く、築地からの仕入れ+産地直送や自家製加工品も扱うがセリはないらしい。
 その場でさばいた鮮魚や焼きハマグリなど市場の味を堪能できますが、営業時間は4:00〜12:00。
 実物大とされるクジラの看板(右中央下の青い看板)があるのは、江戸時代に徳川家直轄地とされ、紀州から多くの漁民が移り住み、巻き網でマグロやクジラ漁をしたことのアピールか?
 当時は大型の魚が東京湾を回遊していたようです。



妙見島対岸

 目と鼻の先の光景を、手をこまねいて眺めるしかない辺境地(県境)のジレンマが感じられます(奥の妙見島は東京都)。
 以前、妙見島からこちら岸を見た際、コンクリート護岸が続き冷たい景色と感じたが、こちらから島を見ると、事故の際にとばっちりを受けそうな不安感を覚えます。

 手前は屋形船の桟橋で、昼間には海への期待感を抱けませんし、夜のライトアップが無いとしても、目の前の現実と非日常的な船遊びのギャップは、リフレッシュできそうと。



 埋め立て前の海に囲まれた時分に建立され、海の神(大綿積神:おおわたづみのみこと)を祭る神社。
 境内には、石を積んだ富士塚や、オランダ人技師が江戸川・利根川の水位観測をするために設置した、日本の河川測量の原点とされる日本最古の水準標石があります。
 驚いたのは、江戸時代の元禄年間(1688年-1704年)・享保年間(1716年-1736年)・寛政年間(1789年-1801年)に津波の被害を受けたとの記録です(高潮の可能性も)。
 当時は低湿地で防波堤が無いにしても、神社が津波被害を受けた歴史はきちんと分析すべきと。
 車のお祓いは、ドアを全部開いて行うようです(右)。




 戦後から漁業が盛んになった境川は漁船で埋め尽くされ、早朝は海へ向かう船が数珠つなぎになったそう。
 当時、川に並行する一番通り(現フラワー通り)には、映画館・演芸場・寄席小屋・魚市場 等がありましたが、漁業権放棄〜浅瀬の埋め立て〜東西線開通により、にぎわいは駅周辺へと移ります。
 ですが以前、天才たけしの元気が出るテレビ(リンク先YouTube)に取り上げられ一瞬の夢を見たためか、保存される旧宇田川家住宅(上:明治2年)、旧濱野医院(右:昭和4年)などを中心とした観光スポット化を目指すようです。整備された境川(下)を含め、+αがあれば関心は高まりそうですから、決め手は「地元の食」ではないかと。




 上の古地図のリンクから、周辺が集落の中心地だった様子がうかがえます。
 地図に見える「猫実:ねこざね」の地名は現在も健在。由来は、永仁元年(1293年)大津波で社殿が流されたため、津波対策として築いた堤防の上に大きな松を植え、波が松の根を越さなぬよう「根越さね」の祈りが猫実となったらしい。
 歌川広重の名所江戸百景「堀江根古ざね:リンク先右端の林の中の建物が当神社」に描かれるように、当時はのんびりとした浜辺だったようです。




 地盤沈下対策で境川に水門が造られたため、川に係留できなくなった船の移転先となりますが、漁業資源の減少や従事者の高齢化から、係留される船は減少傾向とのこと。
 東西線の車窓から、荒川でアサリ漁(?)をする小舟をたまに見かけますが、船の数が少ないのは漁業資源が少ないためかと。
 前回触れた旧江戸川架橋計画(仮 堀江橋)の対岸にあたり、工事が始まると一時的な影響でも船を手放す人が増えそうと。
 ドックとは、船を陸揚げ修理をした地の通称。




 1971年漁業権全面放棄〜浅瀬の埋め立て以降、郷土資料の収集・保存の気運が高まり、2001年郷土博物館が開館します。
 漁師町を再現した町並みには貝殻が敷かれており、ガキ時分に漁港や海岸近くの道をシャリシャリ踏みしめ歩いた記憶がよみがえります。
 付近を舞台にした小説「青べか物語:1961年 山本周五郎」(青べか:一人乗りの平底舟)には、当時の生活が描かれるため、地域を語る上で欠かせないバイブルらしい。
 ベーゴマで遊ぶ右の男の子は結構上手ですが、シャッターが少し遅かった……


追記──NHK大河ドラマ『西郷どん─SEGODON』快調

 イメージが結びつかない鈴木亮平ですが、実直で質実剛健な西郷さんに全身で挑むようで、好感を持ちます。
 物語は西郷が江戸に出てきたばかりですが、番組終わりに流れるゆかりの地紹介に「江戸薩摩藩邸跡」として、芝にあるNEC本社、三菱自動車本社付近の映像が登場した際、「あぁ、そこ、そこ」と近所を指すような反応をしてしまいました。
 もう、東京マラソンの応援もできない地に転居したのに……

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...