2018年4月23日月曜日

庶民の信仰が尊重された──妙典

2018.3.17【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_7

 地下鉄東西線 妙典(みょうでん)駅は2000年開業の新しい駅で、開通当初から駅設置は予定されるも、周辺宅地開発の進展後に建設されました(自治体側の思惑か)。




 行徳街道の南側に権現道とされる路地が残ります。権現とは徳川家康(東照大権現)のことで、東金方面へ鷹狩に向かうための道は行徳街道より早く設置されました。
 道幅2〜3m程度なので右のような長屋とマッチしますが、当初は塩田の中を通され見通しがよかったことと。
 上は懐かしいゴミ収集箱で、神奈川も同じ形状ですから規格があったようにも。当時はこれで数軒分のゴミが入ったのですから、現在どれだけゴミが増えたかが分かります(生ゴミ専用だったか?)。
 古い道や寺社が多く開発しにくいためか、妙典駅に近づくにつれ昭和の雰囲気が濃くなるように感じます。



 以前、江戸川・旧江戸川の分岐付近にある閉鎖された船だまり(篠崎マリーナ)を歩いた際、周辺の地名「河原」をいい加減と感じたが、その名が地域のルーツとのこと。
 一帯は、江戸川(旧 太日川:ふといがわ)からの土砂が海の影響により堆積した河原のような土地で、地域開拓を牽引した人物の子孫が妙好寺(下)を建立します。
 寺が日蓮宗だったことから、御題目とされる「南無妙法蓮華経:法華経は妙なる経典」(蓮華経は法華経の正式名称)より「妙典」の地名とされ、河原に文化が芽生えました。


 フラっと入った右の妙覚寺(日蓮宗)で解説ボードを読んでいると、玄関から住職が飛び出してきて、千葉県唯一とされるキリシタン燈籠の説明をしてくれます。
 なぜこの寺にあるのか分からないが「隠したかったんでしょうねぇ〜」という、慈悲が込められたオチが住職・寺の売りらしく、見学者も多いように好印象が残ります。

 下の徳願寺(浄土宗)は徳川家康により建立され、幕府から朱印状が与えられるような別格のたたずまいで、幕府直轄地(塩田)で誇示される権力の大きさが伝わってきます。

 行徳舟(江戸小網町~行徳を結ぶ)には、江戸川上流〜利根川を経由する銚子方面航路もあり、当時物資輸送の主力だった舟運(しゅううん)の中継地付近には、人・物の往来でにぎわった時分の痕跡が残されます。下は旧江戸川沿いに残存する蔵で、他にも散見される様子から付近は荷揚げ場の中心だったように。
 明治期以降、鉄道整備〜水運の衰退とともに地域の活気は失われますが、残された往時の姿を活用した地域おこしをもっとアピールすべきではないかと。楽しく歩けます。



追記──警備の格付け

 地下鉄日比谷線 神谷町駅から坂を登った飯倉交差点付近には、普段からロシア大使館警備の警官、道路封鎖のバリケードやバスが待機していますが、この日はいつもとは違い、キリッとしたスーツ姿の「私服警官」が目立ちます。それは、麻布郵便局となりにある外務省飯倉公館で行われる日中外相会談の警備らしい。
 警戒対象は普段と同じ、中国・ロシア大使館に抗議の声を浴びせにくる黒い街宣車と思われるが、中国の外相を迎えるためにSP(セキュリティポリス:要人警護任務専従警察官)が配置されていたようです。
 ですが、国にとって重要な行事の際に常習犯が騒がないのは、警察との間に「裏の忖度」の取り決めがあるようにも……

0 件のコメント:

コメントを投稿

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...