2018年7月2日月曜日

東京にできない町づくり──幕張_1

2018.6.9【千葉県】──JR総武線を歩く_7

 JR総武線 幕張駅に降り立ち、ガキ時分の潮干狩り当時の面影を探すも、半世紀ぶり(こんな時間の単位を使うようになるとは)なので、完全に浦島太郎の心境です。当時は、海水浴場の玄関口らしい潮の香る空気感があったと思うが、特色の無いローカルな駅前になっていました……


旧海岸線(国道14号:千葉街道)

 国道14号(千葉街道:日本橋〜千葉市)は、津田沼〜千葉間の旧海岸線を通されたので、右付近に旧堤防が続いていたようです。
 付近には、堤防の高さで海に張り出す京都鴨川の納涼床のような海の家が並び人出も多かったが、ザクザク採れるので夢中で砂を掘った記憶があります。
 成果の網はバスケットボール大ほどあり、帰路の総武線の床に置くと、アサリの吐く塩水と砂で床が汚れ車内に潮の香りが広がるも、「たくさん採ったねぇ」と受け止めてくれるおおらかな時代でした。当時の海沿いを走る路線は、どこも床は結構ジャリジャリしていたように。
 成果は近所に配って回りましたが、いま考えると採り過ぎですが、アサリ減少の原因は環境変化によるように……


幕張新都心 業務研究地区(海浜幕張駅北側)

 周辺の埋め立て事業は、戦後間もない1945年食料増産を目指した緊急開拓事業として始まり、1964年最初の造成が完了します(上の国道14号陸側)。
 1973年住宅利用を目的とした埋め立てが始まるが、東京に集中する業務中枢機能の分散を目指した新都心建設に舵が切られ、後に学生増対策のため教育文化施設が付加されます。
 千葉県主導(1972年〜2010年)の「職・住・学・遊」が融合する、未来型の国際都市をコンセプトとした新都心は、522.2ha(ヘクタール)≒東京ドーム111.68個(東京ドーム計算機なるものがある)の広さがあります。
 右はIBMビルのエントランスで、ビル敷地に竹林や池などを配置するゆとりこそ、新都心の狙いかと。ですが、本社機能を再び東京に移転した会社が多い。
 京葉線 海浜幕張駅の開業は国鉄時代の1986年で、当時は干潟の「浮島駅」とされたそう。


幕張海浜公園 公園・緑地地区(駅周辺)


 土曜昼下がりの公園を歩く学生の姿は、学校案内パンフレットのようで絵になるし、こんな環境なら「明るい青春時代」を過ごせそうに見えます。
 ですが、若い時分を振り返ると、絶好のロケーションなのに「何やってんだろう?」という、無駄に過ごした記憶しか思い浮かびません。そんな「また来ればいい」と思う心根には、時間や可能性の限界を認めたくない意気がりがあったようにも。
 とはいえ、すべての出会いは一期一会と実感できたのは最近ですから、その節目が下り坂の始まるピークだったのかも知れないと……


 駅と住宅地区の間にある幕張海浜公園バーベキューガーデンは、天気がいいこともあり大にぎわい。道具・食材の準備、火起こしや後片付けもおまかせの手ぶらでバーベキューに加え、食材や飲み物の持ち込み可なので、存分に楽しめそう。
 木々に囲まれたキャンプ場、海辺や渓流の雰囲気はないが、「ちょっと家から持ってくる」「スーパーで買ってくる」ができるBBQが受けるのは当然という気がします。虫も少なさそうですし……


幕張新都心 タウンセンター地区(駅周辺)

 以前は、幕張メッセ(1989年開館)で開催されたコンピュータ関連の展示会に足を運びましたが、海浜幕張駅前にある三井アウトレットパーク 幕張(2008年「ガーデンウォ~ク幕張:2000年」から名称変更)が印象にないのは、1996年開館の東京国際展示場(東京ビッグサイト)に多くのイベントが移行し、足を運ばなくなったせいかと。幕張メッセのイベントは1日がかりでした……
 駅正面にあるプレナ幕張(1993年)は普通の商業ビルの印象で、右のクライミングウォールや下のガラス張りのロビーなどがあったとしても、目に留らなかったように。
 隣接のアウトレットとつながったことで違和感なくスッと入れたのは、町の空気感が定まったことによるのではないかと。


 新しい町の成功例の一端を、右の「三井アウトレットパーク 幕張」で目にします。限られた敷地なのに2階建てとし、狭い通路が路地のようににぎわう雰囲気が好評らしく、気軽に立ち寄れる小ぎれいなショッピングパークにはいまも人が出ています。東京じゃないんだから「気取る必要はない」との共通認識が、この町ならではの居心地の良さを生み出しているように。

 海浜幕張へ都心から足を運ぶ側の「遠い」印象を、住民側も当然持っており、子どもがのびのびできる環境でゆったりとした生活を選んだ方々は、痛勤の覚悟を決めているようです……


追記──30年以内に震度6弱以上の地震確率予測地図公表

 大阪北部地震に近いタイミングの発表に関心が高まったと思いますが、その中でもっとも確率の高い地点とされた「千葉市 85%」にビビりました(確かに東日本大震災以降、千葉県の太平洋沖の危険度が高まっているように)。大阪 高槻市を離れたと思ったら、今度は全国一と評価された千葉市の近くに越してしまったと。
 日本はどこに住んでも地震から逃れられませんから、心の準備を新たにせねばと……


追記──6月中の梅雨明け(仮)

 梅雨明け宣言は後日見直されるので確定ではないにしても、もっとも早い梅雨明けってのは、極端な気象現象の増加、温暖化の実感を裏付けるようで、納得して受け入れる方が多いのではないか?
 東京では、各水系の水を融通する上水路ネットワークのおかげで給水制限が減りましたが、農耕地を含めて水不足にならないなら、暑さは熱中症に気をつけて我慢します……


追記──祝!「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」世界遺産登録

 長崎、五島列島、天草の関連施設を見学した際、信仰心を持つ人々の強さに心が震えた覚えがあります。傾斜地しかない地域に、平地同様の税を課せられ苦しむ人々がすがったのは、国策とは切り離された教えの、長崎に伝わったキリスト教でした。
 弾圧を受けながらも密かに信仰を続けようとする日本ならでは工夫は、独自の隠れキリシタン文化と言えますし、海外のキリスト教徒や他の宗教信仰者にも驚きをもって受け止められると思うので、是非多くの方々(日本人も含め)に見ていただきたいと。
 映画『解夏(げげ):2003年』で、失明の恐怖に直面する大沢たかおの婚約者 石田ゆり子が、出津教会(しつきょうかい)で祈る場面では、現地で知った教会設立の背景までが想起され、涙が止まらなかった……

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