2018年11月19日月曜日

人が開いた排水の路──花見川

2018.11.3【千葉県】──印旛放水路を歩く_3 花見川

 新川(印旛放水路)は、印旛沼側(利根川水系)と東京湾側の分水界とされる大和田機場から花見川と名称を変え、東京湾へと向かいます。



 以前も歩いた公園の南端には、傾斜地の高度差を利用したアスレチック遊具のコースが設置されています。
 右の男の子は、ゲーム効果音のように「ポヨン、ポヨ〜ン」と口ずさみながら跳ね降りてきますが、小さな女の子などは途中で足を止めてしまいます(左奥には歩道上に渡された橋がある)。
 ガキ時分の遊具というのは、鉄棒、ブランコ等が単体で設置されていましたがそれだけでは飽きるので、自分たちでコースを工夫して複合的な遊び方をした記憶があります。現在は変化に富んで楽しめそうな遊具が提供されるため、自分たちで工夫をしなくのではと心配になりますが子供はすぐに飽き流ので、そこから新しい遊び方を編み出すに決まってます。



 印旛沼から農業・工業・水道用水を安定取水するため、普段は酒直(さかなお)水門と酒直機場で利根川との取水・排水を行いますが、洪水時には利根川沿いの印旛水門を閉鎖し印旛機場から利根川に排水します。それでも印旛沼の水位が下がらない場合は、この大和田機場から花見川を通じて東京湾へ排水する体制が整備されています。
 ですが2013年の台風で、ここから花見川へ放水した際に下流の八千代市で浸水被害が発生しました。湖畔の取水・浄水施設(都市部の水源)を守ることが優先され、花見川流域は切り捨てられたとも受け止められます。ですが、自治体が地域住民の生活・財産保全に尽くそうとしても、この問題解決には予算と時間がかかりそうです。
 機場から排水の際は、右手前のようなスクリューで水を垂直に汲み上げるそう。




 川沿いを歩いてみると、本来の分水界は大和田機場より東京湾側だったように見えます(勝田川は機場南側から印旛沼に流れ込んでいた)。川沿い集落への影響、機場南側に谷地があった等の理由により、印旛沼側からの水路は機場以南に伸ばせなかったのではないか。
 開削区間でもっともインパクトがある弁天橋(心霊スポットとして有名らしい)付近にはかなり深い谷が刻まれ(1969年完成)、鳥の声しか届かない谷間に続くジャリ道には、千葉県で例えるなら房総半島方面のような雰囲気があります。ここは脇道のない長い一本道なので、通り抜ける場合はいいが戻るには同じ道を引き返すしかないため、それなりの心構えが必要な道です(適度な人通りがあります)。


 右(モノクロ)は、開削した法面の保護をしてないためか、竹林全体の地盤が崩れた様子(台風の雨も降ったし…)。両岸には、開削時の残土が積み上げられた山があるらしく、その斜面かも知れません。

 付近の流れはほとんど停滞しているように見えますが、道はわずかながらも下っているので、下流に流れを調整する堰がありそうと。
 機場周辺の地盤高は10m程度で水面はそれより数m低いため、東京湾までの流れにはほとんど傾斜はないように。ですが、東京湾からの逆流(高潮、大潮 等)対策のためには複数の堰が必要なので、流れが停滞してため池のようになるのは仕方ないことと。




 709年(飛鳥時代)行基(仏教を各地に布教したとされるスーパー僧侶で、奈良の大仏造立の責任者)が開いたとされる寺院で、仁王門の大わらじが評判となり、わらじを門に結ぶと足が丈夫になるとされます。上のミニわらじは子供用にしても小さいので、まだ見ぬ子供への祈りだろうか。
 境内にはいくつも社があり、それぞれ念入りにお参りして回る若い女性の姿には思いの強さが感じられるので、ジャマをしないように……



 上の天福寺に隣接する本公園の名称も、寺院の山号「花島山」(島:川に突き出した場所)に由来し、川へと続く谷地には渓流園、丘陵地には体育館、球技グラウンド、テニスコートなどがあります。
 右の男の子は、流れの堰に溜まった枯葉に潜んでいるザリガニ(?)等を狙っているようです。水を含んだ枯葉は重いため網が折れそうですが、目のつけどころはこれまでの経験によるものか?
 ここは人工の水辺ですが、水が湧き出す池の周辺にカメラの三脚が並んでいるのは、カワセミが見られるためではないかと。鳥の姿を求める人々が集い、語り合える機会が生まれたのですから、自然を模した公園整備の成果はあったように。


追記──前田健太(ロサンゼルス・ドジャース)の恩返し

 日米野球で広島を訪れた際、米大リーグ選抜(MLB)チーム監督らと原爆慰霊碑に献花をする姿を目にし、広島カープファンは彼を再評価したのではないか。
  2015年までカープに在籍した前田投手が、MLBメンバーとして広島球場のマウンドに立つだけでなく、被爆都市である広島市民の思いを野球を通じて発信したことは、彼をこころよく送り出した広島ファンや広島市民に対しての恩返しになったのではないか。
 来年は是非、ワールドシリーズ制覇をしてもらいたいと。

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