2018年10月29日月曜日

花の季節に是非!──東葉勝田台

2018.10.8【千葉県】──東葉高速線を歩く_9

 運賃が高いとされる東葉高速線 西船橋〜東葉勝田台は 627円で、京成線 京成西船〜勝田台 319円(いずれもICカード)とは倍近い差があっても、借金返済はままならないらしい。



 東葉高速線の車窓に新川の河川敷が広がると、まず最初にボーリングピン(ROUND1)が目に入ります。
 駅周辺にフルルガーデン八千代(イトーヨーカドー等)、ヤマダ電機や、丘の上にジョイフル本田(ホームセンター)等の大型店が並ぶ様子に驚いたのは、駅名すらも知らない予備知識不足のためかと(失礼!)。
 本駅は住民の要望を受け追加設置されたもので、周辺は新興住宅地のため商店街はなく、以前の農耕地と思われる平坦地に駅・道路・商業地を整備し、隣駅の勝田台周辺には出店できない大型店舗を誘致したようです。
 千葉方面では、大型駐車場を持つ店舗の出店はイオンが独占と思っていましたが、ヨーカドーが踏ん張っています(新浦安店のようにならないことを)。



 6世紀(古墳時代)に作られとされる八千代市内最大の前方後円墳で、上記の大型店舗方面(平坦地)を見下ろす丘陵地にあり、古墳造営当時から一等地だったように。
 大宝律令(701年 飛鳥時代末)当時から「村神郷」とされる集落があったためか、付近の丘陵地に八千代市郷土博物館があり、印旛沼が海だった時分(弥生時代:紀元前1000年〜200年代中頃)から人が暮らし始め、多くの遺跡が残される様子が展示されます。
 また、東京湾に流れ込んだ利根川流路の付け替え後に発生した印旛沼の洪水対策として、東京湾に流れる花見川への排水路工事に幾度も挑んでは失敗した経緯や、1969年に印旛放水路(新川)が完成した際の喜びの様子もうかがえます。



 社は大きくないが神社を取り巻く森は、以前は根上神社と続いていたように見えます(その間にあるジョイフル本田に分断されたように)。
 谷を渡って続く木々は鎮守の森として手入れされたようで、杉が植えられ古くから守られてきた森の印象を受けます。神聖さの守り方として、明治神宮の森のように手を加えない方法だけでなく、利用しながら守ることもしかりと感じます。
 参道を歩くおばあさんの姿がはまりすぎているため、別世界への入り口のようにも見え、点在する街灯はいい雰囲気ながらも、夜はちと度胸が必要かもと。
 手入れが行き届いているので、子どもたちには絶好の遊び場に見えますが、花粉の季節は大丈夫だろうか?



 ここは「八千代市屈指の桜の名所」(市ホームページ)だけでなく、3月スイセンまつり、6月ユリまつり、9月彼岸花まつりと、季節感を楽しめる花の公園のようです。
 特に彼岸花の名所として人気があるようで(時季は9月後半のため名残程度)、リンク先等には見事な写真が掲載されます。ユリの写真もキレイ
 下の十月桜は4月上旬頃と10月頃の年2回開花する種類なので、台風の塩害で季節外れに咲いた桜とは異なります。
 風に揺れる姿が震えているような花を、寒くなる季節の季語として体で覚えておこうと。
 花のことを知らず季節外れの訪問だったので、次回は是非とも花の季節にと思うも、ちょっと遠い……
 右は実物大の像の模型と牙にぶら下がる(?)少女。




 この池は、江戸時代に黒大蛇が住むとの逸話から黒蛇池と呼ばれ、近年干上がり湿地となっていましたが、2014年現在の姿に整備されます。地域にはデーダラボッチの足跡との言い伝えも残るそう。
 池の上を通る東葉高速線建設の際に発見された鋼をつくった家の跡(沖塚遺跡)は、3世紀後半(古墳時代初頭)との分析結果から日本最古の施設とされます。原料は周辺で手に入る砂鉄ではないかとの実証実験が行われました。
 古くに精錬技術は伝わるも原料が足りなかったようで、その後は鉱山開発が盛んに行われた近畿以西の製品が流通したのかも知れません。


 上は、公園近くにあるフランス料理店 貝殻亭に併設の洋菓子店。レストランはバラに覆い尽くされ暗そうな印象ですが(自慢らしい)、裏にあたる店舗と工房のたたずまいはとてもいい感じです。上の奥に手入れされた庭らしき一角がありましたが、またその奥にウエディング施設や、本格的に作庭された貝殻亭ガーデンがあるのだそう。入園可と知らなかったとはいえ、ここはちょっと後悔しています。

 付近を歩くのは初めてながら、花を育てやすい土地柄という印象が残りそうです。


追記──福原 愛ちゃん引退

 幼い頃は「『泣き虫じゃないもん』と思ったが、最後のリオのオリンピックの時もすごい泣いていましたし、やっぱり泣き虫なんだって。なので『泣き虫愛ちゃんだよ』と言いたいです」(リンク先はYoutube)と語るリオ五輪の涙は、リーダーの責任を果たせた(彼女としては最低限かも知れないが)安堵感によるものと、応援側は拍手を送りました。
 幼い頃から注目され(国民に見守られ育った)プレッシャーを背負いながらも、日本代表のキャプテンとして活躍したのですから、見事な精神力と感心します。
 T.LEAGUE誕生の原動力や、男子発奮の刺激になったことなど、彼女の貢献度はとても大きいのではないかと。
 もうお母さんなのに「いい女」ではなく、「いいお姉さん」になったと表現するのは、ルックスや「卓球少女」の印象が以前と変わらない、彼女らしさへの褒め言葉になると。
 お疲れ様でした。これからも卓球界をもり立ててください!


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