2018年11月5日月曜日

田園の秋──新川(印旛放水路)

2018.10.20【千葉県】──印旛放水路を歩く_1 新川

 これまで丘陵地帯を歩いたせいか水辺の開けた場所を歩きたくなり、広い河川敷を持つ新川(印旛放水路)沿いを散策します。




 上は、お犬様に限らず動物を供養する社で、馬の置物や熊のぬいぐるみ(って?)が祭られます。現在近郊で馬を飼う農家は見かけませんが、犬は身近な存在です。
 鴨鴛(鴛鴦)とはオシドリ(鴛=雄、鴦=雌)のことで、付近の阿蘇沼で射た雄の亡骸を追ってきた雌が寄り添って死んでいる姿を目にし、この寺を建てたと伝わるように、生類を大切にすべきとの教えが根付いています。
 右は新川に架かる展望台付き(?)人道用の吊り橋ですが、川岸の改修工事中のため通行止めとなっています。
 通行量の多い橋ならば融通をきかせると思うが、シャットアウトしてしまうのは、利用者の少なさを認めているようにも。自治体の都合(下の図書館整備事業の布石?)ではなく、利用者の都合に合わせた均等配置ができないものかと(付近に橋が集中している)。




 この名称は八千代市のネーミングライツ契約によるもので、TRC(図書館流通センター)が指定管理者として図書館運営業務を行っています。
 TRCは図書館向け書籍販売の独占を目論むようで(そこがうまみ)、資本の提供を受けた自治体が地方書店の弱体化に加担している、と問題視されるのも当然かと。
 市が自由にできる土地が少ないにしても、河川敷に建てた図書館が洪水で浸水したら多くの本が台無しとの危険性は認識しているんですよね?
 葦 (あし、よし)が茂る河川敷に白くモダンな建物を並べ、図書館らしくないほのぼのとした雰囲気を生み出したことは、チャレンジ成功に見えますが……
 並びに八千代市総合グラウンドがあります。


 右写真奥の丘陵地(川の東岸)に、阿蘇の名を残す小・中学校があるので、この付近に阿蘇沼があったのでは。阿蘇線という鉄塔を勝田台付近で目にしたように、1889年(明治22年)市町村制施行の際に印旛郡阿蘇村が誕生しますが、1954年八千代町への編入により消滅します。
 八千代の梨は阿蘇ナシとして出荷されるそうで(目にしたことあります?)、丘陵地には梨園(観光用もある)が広がります(帰りのバスで目にした)。
 元々丘陵地ではナシや畑作、川沿いの低地では稲作が行われましたが、現在低地にも梨畑が見られるのは、稲から転作した姿かも知れません。
 付近を走る東洋バスはPASMOが利用できず、田舎の線引きをされても仕方ありませんが、こちらは両替のやり方を忘れていたりします……


新川沿いの農地

 江戸時代の利根川東遷事業により、印旛沼に利根川の水が流れ込むようになり洪水が頻発したため、治水対策として東京湾へ排水しようと新川(印旛放水路)が開削されます(利根川水系)。
 通常は利根川方向に流れるが、大雨時など東京湾に排水する際には流れが逆になります。川のように見えても印旛沼の一部なんです。
 かつては水質ワースト1とされた沼で、汚名返上と官民で水質浄化に取り組みますが、再び低迷しているそう。
 コイやフナが釣れるようで、釣り人連中による自作のテラスや桟橋をよく見かけますが(しっかりしているように見える)、勝手な構造物でも放任されるのんびりした土地柄らしい。

 稲の収穫が終わった田んぼには、機械梱包された稲わらが並びます(表面はガッチガチ)。以前は乾燥させるため傘を重ねたように積み上げましたが、右の姿はこれから加工場に運び込まれる資源のように見えます(バイオマス燃料に稲わらが利用される例もあるそう)。
 水辺に近い低地は肥沃な土壌で絶好の稲作地に見えますが、雑草が生えている区画も目につきます。高齢化によるリタイアや後継者不足による事情は理解できても、政策等の理由から稲作を断念することは、米を育てられる恵まれた環境(資源)をムダにしているように。
 皆、日本の米が一番おいしいと思っていますから(今年の新米もおいしかった!)、応援する気持ちを持っているはずと……


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