2018年11月12日月曜日

水辺で育まれた──印旛沼

2018.10.28【千葉県】──印旛放水路を歩く_2 印旛沼

 印旛沼には、以前仕事で訪れた際の明るくない記憶が残りますが、今回歩いたことでかなり明るいイメージに上方修正されました。




 戦国時代に城郭が築かれますが、城として整備されたのは江戸時代で、江戸東方を守る要として譜代大名が城主とされ、その多くが老中などの要職に就きました。幕末期の老中 堀田正睦(まさよし)は佐倉藩主で、日米修好通商条約調印を求めるタウンゼント・ハリスと交渉に当たったことから、城跡にハリスの銅像があります。
 上は現存する外堀(水堀)内側の土塁で、当時は付近まで広がっていた印旛沼を外堀としたそうで、城内にある右の馬出空堀もきれいに保存されています。崖のような堀も現存しており、埋め立てて整備するするのは大変なので保存されているようにも(失礼)……
 城址公園=桜の名所はお約束ながら、シートを広げるスペースもあり人気がありそうです。



 右中央の片膝で漕いでいるのは、カヌースプリント競技のカナディアンとされるスタイルで、シングルブレード(水掻きが片側だけ)のクラス。艇には舵がないためパドル操作で操舵します。
 リオ五輪カヌー競技で銅メダルを獲得した羽根田 卓也選手(カヌースラローム)のパドルが、シングルブレードだったことを意識して見てませんでした。
 スプリント競技は真っ直ぐ進むため、見学もシャッターチャンスもスタート時に限られ、コーチの「1km先のブイでUターン」を耳にし、この場を後にします。

 湖畔には、金メダルジョギングロード(尚子コース・裕子コース)が整備され、ランナーに加えてアベックのデートコースとしても人気がありそう(右下)。

 湖畔の人だかりは印旛沼流域 環境・体験フェア ~まるごと いんばぬま~のにぎわいで、流域の13市町等が参加するように、印旛沼の水は広い地域に恩恵をもたらしています。
 上の佐倉高等学校カヌー部は、催しのデモンストレーションらしいが、カヌー部も静かな湖面に誘われ発足したのではないかと。

 印旛沼は丘陵地の間に広がる沼地・湿地(太古の時代は海)でしたが、戦後の干拓により面積は半分以下となり、現在は北部調節池(北印旛沼)と西部調節池(西印旛沼)だけとなりますが、湖沼としては千葉県内最大の面積を持ちます。

 右のオランダ風車(1994年完成)は、リーフデ(友愛 De Liefde:オランダ船リーフデ号に由来)と命名されます。
 リーフデ号は日本に初めて訪れたオランダ船で、ヤン・ヨーステン(徳川家康に認められ、屋敷があった現在の八重洲の地名は彼の日本名「耶楊子:やようす」に由来)や、ウィリアム・アダムス(家康に外交顧問として仕え、日本名「三浦按針」の名は京急線 安針塚駅に残る)が乗船していました。
 佐倉とオランダの関係は、幕末期の佐倉藩で蘭学を積極的に取り入れ、「西の長崎、東の佐倉」と言われるほど蘭医学研究が盛んだったことによります。この地に開かれた私塾「佐倉順天堂」が順天堂大学のルーツであるため、千葉県で順天堂の施設をよく目にするのかと納得します。

 付近には印旛取水場(千葉市、船橋市、市原市方面の水道水用)と、JFEスチール印旛沼浄水場(千葉県との共同事業による、千葉市、市原市、袖ケ浦市方面の工業用水用)が並んでいます。千葉県の都市部周辺には水源となる水がめがないため、水質の良し悪しに関わらず印旛沼の水を活用するしかないようです。
 水質は恒常的に全国ワーストの部類に入るため、改善への取り組みが続けられますが、都市化による影響が大きいと認識していながらも流域の開発は盛んに続けられるため、一進一退が繰り返されます。

 付近にポプラの木が数本だけありますが、もっと増やすつもりが頓挫したのか? 並木が続いていたら素晴らしい絵になったことと。


 右は印旛沼の周囲に作られた水路で、社会人1年目の12月に水路の測量に来たことがあります(風が強い中で藪こぎばかりしていた記憶がある)。作業が長引いたため、山下達郎「クリスマス・イブ」(1983年発表当初で爆発的にヒットする前)を、付近で寂しく聴いた記憶が残ります。

 干拓以前は沼地や湿地が丘陵地近くまで広がったため、京成線は丘陵地に沿って線路が敷かれ、現在はその線路を京急線の赤い電車(リンク先はYouTube)が走ります(相互乗り入れによる)。千葉までの道のりは遠かったろうと思うも、千葉から見れば三浦半島は遥かな地であることと……

 前回訪問時の印象を払拭する見聞ができ、楽しめたので(天気も良かった)、足を運んで良かったと。
 巨人の終身名誉監督 長嶋茂雄さん(現・佐倉高等学校出身)を育んだ素地もこんな環境にあったのだろうと……

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