2021年2月22日月曜日

川の存在感──旧江戸川

2021.2.6【千葉県・東京都】

 江戸川は少し上流側に建設された放水路が本流で、旧江戸川とされる付近には新中川(中川放水路)が合流するように、流路を分散して洪水を防ぐ腐心がうかがえます。



 上は新中川との合流付近の千葉県側にある石油化学工場で、隣接地にガス会社 等もあり工場地帯の生き残りと言えそうです。南側にある壁のように大きなマンションや、北側の広尾防災公園は、再開発された様子がうかがえます。石油を加工する工場なので、旧江戸川の小型タンカー用桟橋や、川沿いの道路を跨ぐパイプラインは必須の設備ですから、移転へのハードルは高そうです。


 合流地点手前の新中川に設置される今井水門(現在耐震補強工事中:1963年)は、高潮・津波を防ぐための防潮水門で、2010年チリ地震の際に閉鎖されました(岩手県で1.2mの津波を観測)。平坦な低地が広がる地域のため(地盤沈下の影響を含め)都内最大級の水門とされ、江戸川区・葛飾区・足立区の広い範囲を守る要とされます。水門が閉鎖された際は荒川沿いの中川へ排水されるように、高潮・津波・洪水を防ぐ防衛線とされる荒川ですから、ちゃっちゃと整備すべき(水門を作れないため高い堤防の整備が必須)と近隣住民は思うところです。


 上は旧江戸川に架かる今井橋から上流側の絵で、都県境付近になります(左:東京都江戸川区、右:千葉県市川市)。右下の船は川の中央付近に係留され、不便そうに見えますが、これは「ここまで千葉県!」の縄張りの主張ではないかと。左奥の東京側に係留されるクルーズ船が立てる波に対する、千葉県側のバリケードのようにも。
 海を生活の場とする文化を持つ千葉と、娯楽の場として提供する東京との間には、大きな隔たりがあります。

 千葉県側に多い簡易的な構造物は(右)、使用者が減り廃れる一方に見えます(漁業権補償絡みのデモ的な構造物?)。
 毎年「梅って気が早いよな」と感じながらも、徐々に花が開く間に小春日和の暖かな日があり、見ごろには春らしさを感じる陽気が増えます(三寒四温)。この花から感じられる季節感が、古くから好まれた様子を思いながら、今年の春一番は早かったと(2月4日)……


日本でのワクチン接種開始

 最初の接種が行われた病院長の「痛くありませんでした」のコメントは驚いたが、小児に限らず安心感を与えられる言葉として選んだのでしょう。まずは医療従事者の不安感を、少しでも軽減することが最優先なので、順番はいつかと考える時期ではなさそうです(もっとも進むイスラエルでも全国民の40%程度らしい)。
 日本の製薬会社の実力が、世界の足元に及ばないことがよくわかりました……

 首都圏では、新規感染者数の減少傾向が下げ止まるように見えます。国会議員の飲み歩く姿が、「緊急事態宣言でも飲める!」情報として広まり、夜間に出歩く人や、日中の人出が増えたようで、現在の制限ではこの辺が限度という印象を受けます。
 今後の選択肢には、徹底的に押さえ込むため一段と厳しい制限を求める、ワクチン接種が行き渡るまで現状維持で持ちこたえる、しかないように。現時点での制限緩和の選択は、東京五輪放棄の意思表示と受け止められそうです……


日本のラグビーが世界に認められた?

 ラグビートップリーグが開幕しました。詳しくないのですが、海外強豪国の代表選手が多数加入していると(南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、スコットランド 等)、ニュースで目にしました。シーズンオフ(季節の違い)期間だけかもしれませんが、世界のプレーヤーの視野に日本が入ったことは素晴らしいことですし、残念だった昨年(途中で中止のためリーグ不成立)の分も盛り上がってもらいたい!

2021年2月15日月曜日

おとぎ話にしたい──浦安_3

2021.1.30【千葉県】

 緊急事態宣言時ながらも陽気がいいので、密ではなさそうな旧江戸川沿いを散策する中高年の夫婦が多く、地元を再認識した様子の言葉が聞かれました……



 以前は漁業の町として栄えましたが、工場排水 等による水質汚染や、舞浜沖 等の干潟の埋め立てにより漁業者が減少し、町は転換期を迎えます。継続を希望する漁業者のために(浦安市の海域は広い!)、上の堀江ドックが建設されます(1966年)。当初は船で埋め尽くされたらしいが漁業者は減り続け、現在は主に屋形船の発着場とされるようです。
 周辺を幼い少女と散歩している父親が「むかしここでじいちゃんがクジラを見たんだって。スナメリ(クジラの仲間)が迷い込んできたんだよ」と語りかけています。クジラの絵があった浦安魚市場も閉鎖され、おとぎ話のように聞こえそうですが、話だけでも受け継いで欲しいと……


 右は浦安市役所駐車場で、最上階の端に停められるのは市の公用車のようで、利用率の低い場所を使用しているのではないかと(この日は土曜)。運転者は足元を気にしても柵の下は眺めないため、気にならないでしょうが、近頃は立体駐車場からの転落事故をよく耳にしますから、下からは「落ちるなよ!」と言いたくなる光景です。

 隣接の浦安公園では、子どもたちが遊具を利用し駆け回っています。昨年の緊急事態宣言時は、遊具に「使用禁止」のテープでぐるぐる巻きにされましたが、われわれが1年間で学習した成果と受け止め、この先にも明るい展望を描きたいと。


 浦安市郷土博物館に展示される焼玉エンジン(上)は、緊急事態宣言の休館中でも手入れが欠かせないようです。これは旧江戸川から引き上げられたもので、製造元の鉄工所(静岡県土肥町)に依頼し、不足部品を作り直して復元したそうです。以前はポンポン船(焼玉船)として広く親しまれますが、そこまでの執念を持つのは浦安市だけらしい(「焼玉エンジンの始動が見られるのはここだけ」と自慢しているそう)。旧漁師町の名残りが点在する町を歩くと、そんな気質を理解できる気がしてきます……


 上の左右天命弁財天は、住宅地の窮屈な場所ながら池とともに守られ、地域の守り神として信仰される様子がうかがえます。
 その近くに大三角線(おおさんかく)という通りがあり、大三角とはご想像の通り、旧江戸川河口に広がった大きな三角州のことで、埋立地は舞浜(ディズニーランド周辺)となります。旧浦安町から浦安市となったのは1981年(ディズニーランド開業の2年前)で、埋め立て前の約4倍(4分の3が埋立地)の面積となっても県内で一番狭い市らしいが、千葉では一番有名かと。
 人の多そうな舞浜周辺には、まだ近づかない方が……


天災と人災

 東日本大震災の被災地で大きな地震がありました(東京も大きく揺れた)。電気・水道・鉄道 等に被害を受けましたが、犠牲者が出なかったことは何よりですし、協力体制に重要視される「スピード感」が共有される様子に、たくましさを感じました(素晴らしい!)。
 その一方で、感染症対策というのは長期間に及ぶため、引き締めの呼びかけを理解しながらも、時間の経過とともに徐々にルーズになる、人間の弱い面が感染拡大の要因に加わるため、人災といえる面もありそうと……

2021年2月8日月曜日

ニューノーマル初詣──浦安_2

2021.1.16【千葉県】

 地下鉄東西線の快速運転区間で唯一停車する浦安駅周辺は、鉄道建設以前から市街地があったようで、区画整理されない窮屈な印象に「密」を感じたりします……


 この日は新年3週目の週末ですが、右の清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)に、密にならない程度の参拝者が訪れるのは、正月三が日の初詣を避けての呼び掛けに、応じた成果ではないかと。神社側も三が日のような受け入れ態勢に見えますから(露店は出ていない)、不便なくお参りできそうです。
 漁業の町だったので海の神が祀られますが、ことし初めての神社参りなので、やはり「疫病退散!」を。海の神とは、ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とされ、海を指す意味にも使われます(元ちとせ「ワダツミの木」等。リンク先Youtube)。以前は、境内にある富士塚(富士信仰の人工の山)から、富士山がキレイに見えたことと。

 緊急事態宣言が出ているため、古民家等の施設公開は停止されています。右の旧濱野医院(素敵な洋館)は、移築・保存されたもので、玄関前に「この建物で診療は行っておりません」の看板があるように、子どもに病院を選ばせたら、「ここがいい!」の意見が多いかもしれません。
 それらの建物は、元の清瀧神社参道に発展したらしいフラワー通り沿いに並び、漁業が盛んな時分は大変なにぎわいで、映画館もあったそう。当時の面影を残す建物は少なくなりましたが、何となしに曲がる道の「人懐っこさ」(まっすぐ帰れない?)に、吸い寄せられた人も多かったのでは?


 上は、浅田煎餅本舗の軒先で天日干しされる煎餅生地で、通常4日~1週間程度かかるそう。天日干しをすると、ミネラル(鉄分・カルシウム)、アミノ酸、ビタミン含有率が高くなり、旨味成分も高まるとのこと。店は側道+境川に面し日当たり抜群ですから、おいしい煎餅になりそう。
 右の民家も日当たりがよく建物は日焼けしそうですが、格子戸等の玄関周辺がとても明るく鮮やかで、手入れが行き届いているように見えます。父の実家も格子戸だったので、「ガラガラッ」の音に郷愁を覚えますし、家中に響く音は来訪者を伝えるチャイムの役目をしていました。
 右の豊受神社豊受姫大神:食物・穀物を司る女神を祀る)にも、密にならない程度に参拝者が訪れます。祭礼の告知である背の高い幟柱(のぼりばしら?)を目にすると、気持ちの高揚感を覚えますが、いまどきはどれくらい遠くまで見えるのだろうか?

 普段の年明けは、人出やにぎやかさに正月らしさを感じますが、人出が少なく静かな境内でも、新たな年への希望を祈る姿から、正月らしさを感じる新年となりました。
 節目は重要ですが、改まった気持ちで参拝する姿勢が大切であることに、気づくきっかけになるかもしれません……


2度目の緊急事態宣言の成果

 この期に及んでも、Go to トラブルメーカー(人災と感じる感染再拡大の元凶と目され、「首相にしてやるから、わかってるな」と裏で糸を引く背後霊)がブチブチと口を出すため、ようやく排除機運が出てきたようです。「感染拡大の恐れあり」と専門家に指摘されたにもかかわらず、トラブルメーカーに抵抗できず、「マスクと10万円」をばらまいて逃げ出した前任者とともに、失政(多くの死者を出した)責任をどう取るつもりだろうか? これ以上繰り返してはならないと、早期退場への機運が高まったことが成果のように……
 前任者の大盤振る舞い後の尻ぬぐいとはいえ、「最終的に生活保護がある」と放り出す態度(常套手段の先送り)は、拡大防止に努めた庶民を「平民」と見下す姿勢のようで受け入れがたいが、少ない年金に困った際は、上級国民が納めた税金の世話になることにします。


高校地理が2022年から必修科目に(2月5日放送 タモリ倶楽部より)

 番組内での現役教師によるGoogle Earthを利用した授業内容は、とても興味引かれるものでしたし、地理に関心のない女性ゲストが食いついた様子に、可能性を感じました。
 社会科とされる教科の中で、各地域の地理的条件により、独自の生活、産業、交易、文化が生まれ、発展したことを総合的に学ぶことは、ふるさとを見つめ直すきっかけになるはずです。
 番組では触れてないが、NHK『ブラタモリ』が大きな貢献をしたのではないか? と、勝手に思っています……(大学入学共通テストに番組の内容が出題されたそう)


大河ドラマ『麒麟がくる』終了

 信長の最期の言葉とされる「是非に及ばず」の解釈をめぐる物語で、本作では「盟友」に対する言葉としたようだが、信長と光秀の蜜月関係を描けていただろうか、との物足りなさが残る。
 光秀に関する資料は少ないようで、様々なサポート役や関係性が盛り込まれるも、どれも説得力や魅力が感じられないのは、先の見えない戦国時代の人物像としては仕方ないのかもしれない(争いのない世の希求が家康に受け継がれる系譜も、光秀存命中には描くことはできない)。
 出演者は健闘していたが(光秀:長谷川博己、信長:染谷将太)、輝きを放ったのは本木雅弘(斎藤道三 役)だったように……

2021年2月1日月曜日

宝の海の記憶──浦安

2021.1.16【千葉県】

 前回の旧江戸川から対岸の浦安を眺め、漁師町の面影が残る町並みを歩きたくなり、都心方面は気分的にNGでも千葉方面ならいけそうと、都県境の川を越えました……



 機会があれば酒の肴を物色に、と思っていた浦安魚市場は2019年に閉場され(建物の老朽化、耐震強度不足 等による)、市場の閉鎖には時代の移り変わりを感じたりします(店舗の移転先はバラバラらしい)。上奥は跡地に工事中のマンション(店舗も入る)で、道を挟んだ手前に海苔店がポツンと残りますが、その区画にも再開発の波が迫っているように見えます。
 名が知られるアサクサノリ(浅草海苔)は種の名称らしいが、産地の総州葛西(この周辺で、葛西に白子のり本社がある)ではなく、市場のあった浅草が名称とされたもので、品川周辺(大森?)にも産地の記録が残ります。


 新川(江戸時代に開削された中川と旧江戸川を結ぶ人工河川)を通る船が浦安を目指したのは、大正期に海水浴や潮干狩りでにぎわったためで、当時から観光向けの投網漁や、鵜縄網漁(鵜の羽根を付けた縄で水面をたたき魚を追い込む)等の遊漁船が出ていたそうです。
 海を生活の場としてきた周辺には、釣り船を運営する船宿が多く、この日も戻った船から多くの釣り客が降りて来ます(平塚の船宿のような活気がある)。感染対策を押さえていれば、大手を振って出かけられそうですし、晴天で風がなければ海上は極楽です(釣果は別…)。
 左側は排水機場の太い排水管ですが、浦安市にゼロメートル地帯はほとんどないそう。
 下奥は妙見島(江戸川区)の煙突で、手前のほうきは抗議の意思表示? だとしたらお見事!


 下の奥は、地下鉄東西線 第一江戸川橋梁(旧江戸川の鉄橋で、江戸川放水路の鉄橋は第二江戸川橋梁)、手前は旧江戸川と接する境川西水門(リンク先の桜の季節にも是非!)で、漁師町の風情を残す浦安らしい情景とされます。
 徳川家康は、江戸入りに際し周辺の塩田を直轄地とし、手付かずの江戸湾に紀州から漁民を呼び寄せ海産物を納めさせました。以前はマグロやクジラが回遊したようで、水路を埋め尽くすほどの船がひしめく、宝の海だったようです。そんな場所柄から魚市場が開設されますが(外壁にはクジラの絵がありました)、時代とともに面影は薄れていくようです……


マー君(田中将大 投手)日本球界に復帰!

 契約内容は別にしても、ヤンキースとの再契約の次に日本復帰を考えていたことを、喜ぶべきでしょう。まず日本人としては、東日本大震災から10年経過した現在でも復興途上にある、地域の人々の励みになってもらいたいと、思ってしまいます。
 現役大リーガーの復帰は、日本球界に大きな刺激となりますし、チーム内の若手投手陣にとっては、目標とする選手からアドバイスを受けられ、士気が高まることと。
 アスリートらしい清々しさを持つ人物なので(記者会見の受け答えは立派でした)、応援したいし、活躍を楽しみにしています!


伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”

 当時テレビで見る姿には、特に引かれるものを感じなかったが、いま見ると「百恵ちゃんカッコイイ!」、これぞプロフェッショナルと感心しました。
 少し前に、「最後のソロアイドル:松浦亜弥」的な記事に接し、ひとりで舞台を背負い、駆け回る大変さを振り返りましたが、山口百恵の時分は舞台のセンターで歌い、曲の振りだけで引きつけるカリスマ的な魅力が必要とされましたが、十分魅せ切る輝きを放っていました。
 21歳で伝説とされたことが、ようやく理解できました……

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...