2021年3月22日月曜日

人が生んだ干潟──江戸川放水路

2021.2.20【千葉県】

 江戸川放水路(江戸川の本流とされる:長さ2.8km)は、都市部の上水確保と洪水防止の目的で建設されましたが、行徳可動堰の下流側は干潟の生き物たちの楽園となっているそうです。


 右は、江戸川放水路との分岐付近にある、旧江戸川に面した船溜りで(以前の江戸川河道らしい)、少し前に整備計画を目にしたと思うが、前回訪問時と変わらない様子です。海へ出るには、旧江戸川をディズニーランド付近まで下る必要があるため(結構遠い)、下記の放水路に引っ越したらしい。
 江戸川放水路開削時(1919年)に、旧江戸川の流路が移動したため、江戸川区(境界を維持すべき)vs 市川市(境界を引き直すべき)の意見がまとまらず、現在も河原番外地とされる地域があるそう。以前もふれましたが、河原という地名は何とかすべきで、「市川市の河原に住んでる」と、言いたい人はいないのでは……(歴史ある河原なのか?)

 右は江戸川水閘門(すいこうもん)で、江戸川(左側)と旧江戸川(右側)を仕切る水門(上水に利用する上流側への塩水の遡上防止と、下流側の旧江戸川の水位確保:奥)と、 船が通るための閘門(こうもん:手前)が併設されます。歴史を感じる建造物は戦時中に作られたもので(1943年)、当時から東京の上水確保に苦労していた様子がうかがえます。

 放水路の少し下流側に作られた旧行徳堰は固定式で、流域の洪水を防げなかったため、57年に可動式とされました(下)。洪水の際は上流(左)からの雨水を流し、海面上昇時は下流(右)からの塩水を受け止める構造は理にかなっており、活躍する姿を見てみたいが、その際はここに立ち入れません。


 右側の旧行徳橋(現在撤去中:1956年)の歩道は1.2m幅しかなく、すれ違う際は体を避け合い、自転車が来ると立ち止まるような不便な橋でした。
 左側の(新)行徳橋(2020年)は車道・歩道ともに広い橋となり、往来を気にせずに歩けるようになりました(開放感がまるで違う!)。
 橋は可動堰の管理にも利用されるため、内部をのぞけることも一興です(下)。


 普段は、可動堰下流の江戸川河口域には流れがなく、干潟の入江のような環境がハゼの棲息に適しているため、ハゼ釣りのスポットとして知られるそう。右の桟橋やボートからも可能だそう(有料)。
 ガキ時分のハゼ釣りの記憶(横浜 金沢八景←八景島付近?)では、「バカでも釣れる」とされたように、糸を垂らせばすぐ釣れる印象がありましたが、もうあんな楽しさは味わえないことでしょう。潮干狩り(幕張)とともに、東京湾の恵みを体感したことは忘れられない経験で、子ども心に強烈な印象として刻まれますから、「江戸川のハゼ釣り」が思い出となるよう、残してあげたいと……


球春に感じる明るさ

 甲子園に、はつらつとした高校球児の姿が戻って来ました! その躍動を目にすると、「もうすぐ春ですねぇ。ちょっと、動き出しませんか?」と、尻を叩かれるような思いがします。
 開催は春休みの時期に合わせたのでしょうが、イベントを季節感として受け止める(結びつけて感じる)習慣が身についているため、季節の指標になっていることを実感します。今後は中止されることなく、続けられるよう願いたいと。


リバウンド兆候が見える中の緊急事態宣言解除

 首都圏(4都県)の緊急事態宣言解除は、昨年の宣言時と同様に、東京五輪を意識したものと受け止める人が多いのではないか。国としては、何がなんでも「決行」の意思を示し、中止の判断をIOCに委ねる必要がある(責任の所在で費用負担が変わる)、との決意に感じられます。海外観客の受け入れ断念は、中止決定の際に日本側にも負担を求めるIOCの意向とも感じます。
 宣言解除で平時に戻るわけではなく、国民生活に大きく影響を及ぼす問題なので、無関心ではいられませんし、この一年で「50年に一度の五輪より、明日の我が身」と考える人は増えたのではないかと。水面下で画策された動きに見えるので、中止の発表をするなら早くすべきと……

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