2018年5月21日月曜日

集客力ある丘陵地──下総中山

2018.4.21【千葉県】──JR総武線を歩く_1

 地下鉄東西線終点の西船橋から総武線沿いを少し歩こうと、東京側へ向かいます。東京都と県境の江戸川沿いでは、丘陵地のある千葉県側が古くからにぎわいました。




 本寺は、1260年下総国守護(行政官)千葉氏に仕えた被官(ひかん:国の役人)が、佐渡へ配流された日蓮を屋敷内の法華堂で保護したことに始まります。
 境内には、雑司ヶ谷下谷と共に江戸三大鬼子母神とされ江戸庶民に信仰された中山鬼子母神や、100日間の荒行が行われる大荒行堂があります。
 京成中山駅から続くなだらかな坂道には門前町のなごりがあり、門内に並ぶ子院群から京都にある禅寺の塔頭(たっちゅう)を想起するような大寺院です。山号「正中山(しょうちゅうざん)」が中山の地名由来。
 江戸川対岸の妙典付近に日蓮宗寺院が多いのは、地域を開墾した千葉氏系子孫によるそうです。




 以前、中山競馬場近所の方に聞いた「競馬開催日の周辺は車が動かない」の道路事情は、開催日ではない土曜日も渋滞する様を見れば、尋常でない混雑が想像できます。
 レースが無い日も人が集まる「場外馬券売り場」では、椅子でなく床こそ主戦場(?)と座り込むため競馬新聞が散乱しますが、ディズニーランドに及ばずとも、清掃の方がさっさと片付けてくれます。
 競馬場にある子ども向けの施設は無料なので、近所の家族連れには格好の遊び場ですが、開催日渋滞のお詫びとされても困りそうと。
 皐月賞、有馬記念が中山開催すらも知らなかった……


 競馬場からJR武蔵野線 船橋法典駅への地下通路がありますが、専用改札口(開催日・場外発売日のみ)のため、反対側の市街地へ出るために入場券を買いました。
 法典は、駅名=ほうてん、地名=ほうでん と読み、「法傳」の地名に由来する説がある程度で、宗教的な由来に関しても不明とのこと。



 地図で円形の外周道路に囲まれた地区を目にし、2007年に撤去された象のオリ(沖縄県読谷村の楚辺通信所)を想起したように、ここにも1915年開設の海軍無線電信所船橋送信所がありました(全方向との交信用アンテナ)。
 その通信施設が、関東大震災で壊滅的な被害を受けた都心の通信所に代わり東京の惨状を発信したことから、船橋の名が世界に広まりました。
 開戦命令であるニイタカヤマノボレ1208の電文はここから送信されたため、当然戦後は進駐軍に接収され、1966年返還〜1972年に解体されました。

 跡地(リンク先は1989年撮影の空中写真)は学校(小学校2校、中学校1校)、団地、社宅、運動広場(グラウンド)、行田公園(県立)などに利用されますが、円形の外周道路に囲まれた地区って利用しづらそう。
 立派な大木が多く見られるのは、軍事施設なのに空襲被害を受けなかったためで、米軍は占領後の利用を想定し攻撃しなかったように。
 右は、清掃用具を木に収納(?)する様子。倉庫ではなく見える場所に置くことで、気になった人が気軽に利用できるため、公園がきれいに保たれそうと。

 右は公園隣接地にある消防署訓練の様子。
 腹部のロープは、右手前から2人が引き、足を絡めたロープは下で1人が支えます。右側目盛りの地上15m付近で訓練は終了らしい。
 自力で登れる力はあっても(SASUKEではないし)、実際は防護服着用のため動きにくく、階上のけが人救助ではチームワークが必要になりますから、現場を想定した訓練は欠かせないものと。
 毎回つくづく思いますが、万一の場合はよろしくお願いします!

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