2018年6月4日月曜日

天井が抜けた回廊──市川

2018.5.12【千葉県】──JR総武線を歩く_3

 市川の地名は知っていても、「サッカーは市原だよね?」なんて言ったら怒られそうですが、関心が無かったことは確かです。ゴメンナサイ……



 千葉街道から始まる参道は丘陵地まで続き、石段上の仁王門が町を見守るようにたたずみます(右)。
 行基(伝説が多い)が建てたとされる求法寺(737年)を、弘法大師(空海)が七堂伽藍に再建し弘法寺と改称しますが、鎌倉時代に法華経寺の僧との問答対決に負けたため、法華経の道場とされたそうで、これも道場破り?
 TVアニメ 一休さんのような大らかさを感じるが、修行僧たちは突然の改宗を受け入れられたのだろうか? でも、対決に勝った僧侶の講話は、それまでよりありがたい話しかも知れないと……


 近隣に遺跡や貝塚、境内では古墳が発掘されたように、一帯の高台に人が暮らした歴史は古く、奈良時代には下総(しもうさ)国府が置かれ地域の中心地とされます。
 付近に暮らした美少女 手児奈(てこな)の伝説は都まで伝わり、想像から詠まれた歌ながら万葉集に掲載され、真間の地は東国を代表する地域となります。

 市川の名称由来には、江戸川(旧太日川:以前は利根川が流れ込んだ)が東国一の川であった、江戸川の河岸で市が開かれていた等があるそう。



 明治後期から別荘・隠居所等の建設が増え、大正期には黒松の自然林を生かした邸宅街が整備され、関東大震災以降から東京近郊の高級住宅地として発展します。
 右のとんがり屋根の廣池千太郎記念館(麗澤大学 第2代学長)は、上記の弘法寺古墳に隣接する眺めのよさそうな場所にあります(間に壁があり抜けられません)。

 下の市川市 木内ギャラリーは、木内重四郎氏(貴族院議員、妻は岩崎弥太郎の次女)の旧木内別邸(1914年)洋館部分を2004年復元し、市川市の文化活動施設としたもの。隣接する木々に囲まれた中層のマンション群も敷地だとすればかなりの広さ。

 市民ギャラリーとして、音楽会や展覧会が開かれる施設で、庭に足を踏み入れた瞬間に「!」。サロン(?)で開かれるピアノとチェロの演奏に引き込まれ、庭先で耳を澄まします。
 舞台側の窓越から眺めるため、観客に見られているようで落ち着かず庭や建物を眺め歩くと、森の中の演奏会のようで何とも贅沢なひとときを。
 この環境(建物・庭)と音楽会のマッチングを企画したセンスは見事ですし、チェロの低い音が体に伝わる振動には、心身をリラックスさせてくれる効果がありそうと。



 江戸川の架橋を禁じた江戸幕府は小岩市川渡しに、船を利用する旅人を調べる定船場を設置し、後に関所としました(対岸は江戸川区小岩)。
 渡しには、水戸街道 新宿(にいじゅく:葛飾区)から分岐し、佐倉城(後に成田山)へ通じる佐倉街道(付近では現在の千葉街道)が通されており、京成線は一部街道と異なるルートを通り、成田山(成田空港)へと向かいます。
 江戸川を越えるために京成線、千葉街道、JR総武本線がこの地に集まるのは(下)、千葉県側に広がる丘陵地を避け、海岸沿いの平坦地を通すためのようです。




 I-linkタウンいちかわは、市川市によるJR市川駅南口再開発事業として、1980年代初頭に計画されますが、バブル崩壊等により大幅に計画が見直されます。
 その中心には、地上45階、37階建てのタワーマンションがそびえ、45階にある市の施設 アイ・リンクタウン展望施設(展望ロビー、ラウンジ、屋上デッキ)からの眺望は、地平線が見渡せるようでスカッとします。見えるのは家ばかりですが……

 右の屋上デッキには、天井が無く空が抜けて見える場所があります。一般的に高所の展望施設は危険防止のためガラス越しの眺望を楽しむだけですが、45階屋上(約160m)で感じる風の心地よさや開放感は格別です。
 エレベーター設備等がある屋上の周囲に窓を取り付けたイメージで、天井が抜けた回廊のよう(屋根が無い箇所は一部)。
 最上階から上空を眺めていると、ポジティブさを応援してくれるようで、天気のいい日には何度でも足を運びたい場所と。


追記──冷蔵庫故障の見極め

 音がうるさくなったと思いながらビールを注ぐと泡でいっぱいになり、冷えてないビールを……
 新しい冷蔵庫を使い始め、「中」の設定でもビールが冷え過ぎ、氷が溶けにくいことを実感してみると、以前から旧冷蔵庫の機能が低下した様子がよく分かります。
 ですがそれを認識していても、結局判断できず「突然故障が訪れた」と慌てるのではないかと。
 庫内の照明がLEDの青白い灯りになり、冷たい印象(冷えそうとは意味が違う)を受けるが、好き嫌いではなく慣れろと押し付けられているように……

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