2018年8月13日月曜日

台風が夏らしさをもたらす──千葉_4

2018.7.29【千葉県】──JR総武線を歩く_13

 この日降り立った京成千葉線 千葉中央駅は、京成津田沼駅で成田空港方面へ向かう京成本線から分岐したローカル線的な存在。ドル箱の成田詣で客を運ぶ本線よりも開業は早かったが(1921年:大正10年)、現在JR総武線、京葉線に挟まれ、都心へのアクセスでは白旗の様子。




 駅周辺に散見されるにぎわいのなごりから、名称同様に京急線 横須賀中央駅(隣の汐入駅周辺へ若者が流れつつある)を想起しました。
 駅ビルの映画館は2002年リニューアルするも、昭和感漂う京成ローザ(別館?)入り口には昔の名前で出ていますの印象がありますし、上のボーリング場にはゲームコーナーが健在だったりします。ガキ時分よく近所のボーリング場にピンボールしに行ったっけ……
 そんな施設が健在な場所柄との表現で、周辺の雰囲気は伝わるのではないかと。




 千葉市中央卸売市場跡地に1991年千葉ポートアリーナ(体育館)、93年千葉ポートタウン(商業施設+オフィスビル)等がオープンしますが、不便な場所ゆえ人出もまばらで商売にならんだろうの印象の通り、運営元が転々としたそう。
 開き直りの成果か、ポートタウン1F日本いいもの物産展の一角にある、3minutes kitchen(ご当地カップラーメンが食べられる)は盛況で、目にしたことのないカップ麺を並べるディスプレイは華やかに見えたりします。また、階上のエアーガン使用可の劇場型サバイバルゲーム場では、戦闘準備を整えたチームが作戦会議を開いていますし、その上階のビュッフェレストランは付近では珍しいようで結構人気があったりと、集客は企画次第を見事に実現しています。上は、バーチャルリアリティゲームマシン。




 1974年開館の美術館で、千葉県ゆかりの美術家作品を中心に展示しています。
 平屋建ての展示室はむかしの学校の教室が並ぶようで、そこから感じられるゆとりは埋立地の立地によるとしても、建物もアートの一部とするコンセプトらしい。上は、屋外に展示される彫刻。
 変則的な動きの台風のため、台風一過の安定した晴天とはならず、玄関付近で急な通り雨に遭いましたが、「これが夏らしさだよなぁ!」とうれしく感じながら、まったりと雨宿りしていました。




 1986年千葉県民500万人突破記念としてオープンした港湾緑地で、付近は千葉港発祥の地。
 砂をまいて人工海浜を造成しますが、船の航行等により砂は流されるばかりで供給されないため、ふなばし三番瀬海浜公園の潮干狩り場のような泥の浜となり、訪問者の楽しみは貝探しにシフトしたようです。
 千葉港内ですから対岸にはコンビナートがあったりします。小さい子供を海辺で遊ばせるにしても子供は何するか分からないので、ここを選択すべきではないように。


 台風が通り過ぎたばかりで不安定な天候ながらも、モリモリわき上がる入道雲やにわか雨こそ夏らしさと、淡々と続いた猛暑日の異常さを再確認します。
 千葉ポートタワー(上)のミラーボディに映る雲の様子は逆万華鏡のようで、背景に広がる雲の動きとの組み合わせは飽きることがありません。展望室からの眺めは千葉港ビューが目的のため、船の出入りが少ない日に特段の目玉はありませんが、この日は流れの速い雲に目を奪われます。
 これまで東京湾沿いに連なる広大な埋立地を歩き、埋め立て前の千葉県は平坦地が狭く工業化に乗り遅れる焦りを抱いた様子が理解できたので、まだこの先の埋立地にもコンビナート群が広がりますが、この辺でよかろうかと……



 千葉の港の埋め立ては、江戸時代の寒川港(佐倉藩の御用港)に始まり、ほど近い明治時代の埋立地に出州港(でずみなと)が作られ(本千葉の名称ルーツは港だったようです)、現在の千葉港が形成されたのは高度成長期以降になります(国道16号付近が旧海岸線)。
 千葉市役所や本公園周辺の埋め立ては準工業用地基準のため、インフラ整備が後手に回った上、東日本大震災による液状化で道路、下水道などが甚大な被害を受け、慌てて整備し直したようです。
 公園のデザインはキレイでも(著名な方?)、猛暑日に欲しい日陰のベンチがありません。右のオブジェから想起した人造人間キカイダー(リンク先YouTube)では、サイドカーがカッコよく見えましたっけ。

 千葉都市モノレールは基本的に道路上を通されますが、千葉駅周辺ではセンシティと京成千葉駅の上を通過します(奥は千葉そごう)。この未来都市のような構造に、酔いたかったんだろうなぁ。
 懸垂式モノレールは運転席をのぞいても、空が見えないため開放感はなく、高い場所を通っても多摩都市モノレールのジェットコースターのような迫力が感じられません。


追記──翁長沖縄県知事死去

 前知事仲井眞さんの、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て承認も苦渋の選択でしたが、もう無理だろうという状況下で抵抗し続けた翁長さんの信念こそ、沖縄県民の願いを代弁するものだったと。
 翁長さんには、お疲れ様でしたと共に、必ず意志を継ぐ人が現れますからこれからも応援してください、と……

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