2018年4月30日月曜日

江戸川らしさとは──原木中山

2018.4.14【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_8

 妙典〜原木中山駅間には、1919年洪水防止のため江戸川放水路(現 江戸川)が開削されますが、平常時は河川の水が流れない海の入り江のような存在です。開発が進んだ旧江戸川沿いに比べゆとりを持つ設計のため、河川敷には開放感があります。



 東関東自動車道の起点(首都高速湾岸線との接続点)で、当初は新空港自動車道(成田空港の宣伝)として開通したこともあり、走りやすかった印象があります。
 湾岸線接続以前はこの付近で一般道に降ろされ、「この先は渋滞だ」と覚悟した場所だったかも。でもそんな経験があるから、湾岸線開通後にディズニーランドの夜景を横目に走り抜ける快感があるのだと。
 2018年6月開通予定の東京外環自動車道(三郷南~高谷JCT)は住宅地を通るため、巨大な防音壁が設置されています。便利のためとはいえ、新設の高速道が市街地を通されるのは、近隣には大迷惑なことと……


江戸川(放水路)


 河川敷を目にし「江戸川らしい」と感じた「らしさ」とは、「寅さんが現れそうな光景:葛飾柴又は江戸川のほとり」によりそうで、どこにでもある(or あった)身近な景色に見えるためかと。
 現在都心部の河川はどこも防災対策による人工的な護岸のため、親しみが持てるよう工夫をしていますが、東京でその成果を実感できるのは、西端の多摩川と東端の江戸川程度かと。
 人の手が加わっても「らしさ」を保つ川は、歩いていて楽しくなります。


 行徳可動堰(下)は、江戸川水閘門(水門+閘門)と連動して海水の溯上を防ぎ、渇水時も上流にある金町浄水場からの取水を守るための施設。
 その下流側は、開発が進んだ旧江戸川とは異なり、レジャー用途を目指し整備されたため、貸しボート屋前には上のような仮設桟橋が多く見られます。

 ニュース等で目にする防災カメラの映像は重要な情報のため、仮設ながらも目盛りの見やすい右の水位標識は、それを撮影するカメラを意識しているようにも(奥の検潮施設だと写りにくそう)。


 1957年建設の行徳可動堰(上は2014年改修後の姿)右側には行徳橋が通されますが、時代を感じさせる幅の狭さに驚きます(歩道も自転車のすれ違いが困難な幅)。
 現在上流側(左側)で橋の新設工事が行われており、2020年完成予定。

 堰は水域環境の境界で、下流側に釣り人が多いのは海魚の多さによりそうだが、上流側に誰もいないのは、金町浄水場の貯水池のため釣りが禁じられているから?
 堰のゲートは洪水時だけ開かれ、平時は江戸川水閘門から放水されます。


 東西線 江戸川第二橋梁の両岸には、貸しボート屋が並んでいます。
 これからの季節はにぎわうと思うも、各店に山積みされたボートが全部利用されるのか調べると、ハゼ釣り(リンク先に誘われそう)の人気があるらしい(ここは海)。
 ガキ時分にハゼ釣りをした記憶には、釣りたいとの意志に関係なく「食いついてくる」ような感覚で、ひっきりなしに釣れて楽しかったし、即 天ぷらにしてその場で食べさせてもらい、おいしかった思い出がありますから、ここも人気が高そうと。


 有り難そうに見えるが、座ったら服が汚れそうなバス停のベンチ。
 設置・管理の方が不在となったように見えるも、近所の方が重宝されるならその姿を撮りたかったと。


追悼──衣笠祥雄さん

 野球ファンに彼を悪く言う人はいないと思うが、若い時分はやんちゃだったようで、外車を乗り回しては事故を繰り返し、免許取り消しになったそう。
 親交の深かった年下で酒を飲めない江夏 豊氏に、泥酔後の面倒を見てもらったそうで、心を許せる相手には自分をさらけ出してしまう純粋さが、後輩から慕われる由縁とも。
 早すぎると驚きましたが、お疲れ様でした……

 ──1979年日本シリーズ 近鉄対広島 第7戦、江夏の21球を見つめる際、わたしは西本監督の近鉄を応援していました。

2018年4月23日月曜日

庶民の信仰が尊重された──妙典

2018.3.17【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_7

 地下鉄東西線 妙典(みょうでん)駅は2000年開業の新しい駅で、開通当初から駅設置は予定されるも、周辺宅地開発の進展後に建設されました(自治体側の思惑か)。




 行徳街道の南側に権現道とされる路地が残ります。権現とは徳川家康(東照大権現)のことで、東金方面へ鷹狩に向かうための道は行徳街道より早く設置されました。
 道幅2〜3m程度なので右のような長屋とマッチしますが、当初は塩田の中を通され見通しがよかったことと。
 上は懐かしいゴミ収集箱で、神奈川も同じ形状ですから規格があったようにも。当時はこれで数軒分のゴミが入ったのですから、現在どれだけゴミが増えたかが分かります(生ゴミ専用だったか?)。
 古い道や寺社が多く開発しにくいためか、妙典駅に近づくにつれ昭和の雰囲気が濃くなるように感じます。



 以前、江戸川・旧江戸川の分岐付近にある閉鎖された船だまり(篠崎マリーナ)を歩いた際、周辺の地名「河原」をいい加減と感じたが、その名が地域のルーツとのこと。
 一帯は、江戸川(旧 太日川:ふといがわ)からの土砂が海の影響により堆積した河原のような土地で、地域開拓を牽引した人物の子孫が妙好寺(下)を建立します。
 寺が日蓮宗だったことから、御題目とされる「南無妙法蓮華経:法華経は妙なる経典」(蓮華経は法華経の正式名称)より「妙典」の地名とされ、河原に文化が芽生えました。


 フラっと入った右の妙覚寺(日蓮宗)で解説ボードを読んでいると、玄関から住職が飛び出してきて、千葉県唯一とされるキリシタン燈籠の説明をしてくれます。
 なぜこの寺にあるのか分からないが「隠したかったんでしょうねぇ〜」という、慈悲が込められたオチが住職・寺の売りらしく、見学者も多いように好印象が残ります。

 下の徳願寺(浄土宗)は徳川家康により建立され、幕府から朱印状が与えられるような別格のたたずまいで、幕府直轄地(塩田)で誇示される権力の大きさが伝わってきます。

 行徳舟(江戸小網町~行徳を結ぶ)には、江戸川上流〜利根川を経由する銚子方面航路もあり、当時物資輸送の主力だった舟運(しゅううん)の中継地付近には、人・物の往来でにぎわった時分の痕跡が残されます。下は旧江戸川沿いに残存する蔵で、他にも散見される様子から付近は荷揚げ場の中心だったように。
 明治期以降、鉄道整備〜水運の衰退とともに地域の活気は失われますが、残された往時の姿を活用した地域おこしをもっとアピールすべきではないかと。楽しく歩けます。



追記──警備の格付け

 地下鉄日比谷線 神谷町駅から坂を登った飯倉交差点付近には、普段からロシア大使館警備の警官、道路封鎖のバリケードやバスが待機していますが、この日はいつもとは違い、キリッとしたスーツ姿の「私服警官」が目立ちます。それは、麻布郵便局となりにある外務省飯倉公館で行われる日中外相会談の警備らしい。
 警戒対象は普段と同じ、中国・ロシア大使館に抗議の声を浴びせにくる黒い街宣車と思われるが、中国の外相を迎えるためにSP(セキュリティポリス:要人警護任務専従警察官)が配置されていたようです。
 ですが、国にとって重要な行事の際に常習犯が騒がないのは、警察との間に「裏の忖度」の取り決めがあるようにも……

2018年4月16日月曜日

江戸期の風情を伝える──行徳

2018.3.17【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_6

 周辺には古い時代より、江戸川(旧 太日川:ふといがわ)からの土砂が堆積し平坦な湿地や遠浅の海が広がるため、その地を利用しようとする人々が営みを始めました。



 行徳とは、戦国時代に江戸川区篠崎付近に神社を建てた山伏の別称で、周辺に神社へ納める塩を作る塩田があったことに由来します(現在も本塩の町名が残る)。
 江戸時代の行徳塩田は幕府の支配下に置かれ、水路整備により水・陸街道の接点となったことから(成田方面への街道)、人々が集まり文化が根付くことに。

 右は、南行徳公園の危険そうに見える滑り台ですが、子どもたちには人気があります。ガキの時代に、足を踏み外しそうな階段として改良された記憶があり、大丈夫かと心配になります。

 右写真奥は、対岸の江戸川清掃工場
 妙見島の産業廃棄物処理工場でも感じた、都境にこの手の処理施設を作ろうとする内政重視の姿勢は、隣県には迷惑きわまりないが、自区内処理の原則に従う江戸川区にしても立地場所が限られるのも確か。
 隣接自治体との事前協議はあったとしても、作られてしまえばおしまいという気もします。

 以前付近の川岸にあった船の係留施設は、どこも閉鎖され、下ののように放置されます。費用がかかるから何もしないでは、環境悪化を助長するようにも。


 現在の地勢からは、旧塩田は京葉線付近にあったように思えるが、旧江戸川沿いに広がったようです。
 家康の街道整備事業により行徳街道が通され(参勤交代に利用された)、後に江戸へ塩を運ぶ塩の道水路が整備され、当時盛んだった成田詣での参拝客の往来が増え、栄えるように。
 当初、旧江戸川を渡る今井の渡しは大名専用で、庶民は市川関所を通されました。東京の西側で育った者には関所=箱根で、東側にもあるのは当然ながら、市川(江戸川岸)にあったとは想像もできませんでした(失礼)。
 右は香取(かんどり)神社(奥はイチョウの木)。


 江戸からの水路は、江戸期に開削された小名木川新川を経由し旧江戸川に通じます。
 江戸側には現在の小網町付近に行徳河岸があり(行徳の焼塩などの荷揚げ場)、行徳側には旧江戸川岸に行徳新河岸があり、成田参詣、鹿島神宮や銚子方面への旅人がここから陸路をたどりました。
 船着き場付近には、陸路で来ても寄らない人はいなかったと言われる、行徳名物笹屋うどんの建物が残されています。また、街道沿いに健在の味噌店や船具店(現在は船外機を扱う)などを見かけると、往時のにぎわう様子が目に浮かんできます。

 右の常夜灯は、江戸時代に成田詣での江戸日本橋西河岸・蔵屋敷の講中が、航路安全を祈願して成田山に奉納したもので、江戸航路を結んだ船は行徳船(ぎょうとくぶね)と呼ばれ、本行徳村が運行しました。
 それぞれの役割があるので悪口のつもりはないが、農産物を江戸へ運び、江戸の糞尿を運んで帰る船の葛西舟(かさいぶね)とでは、地名のイメージが違いすぎると。

 左下側は対岸にある王子マテリアの煙突で、下流域(葛西沖、浦安沖など)に被害をもたらした黒い排水の元凶(当時は本州製紙)。工場の排水口付近で採集した排水にフナを入れた途端に、全部死んだ実験結果もあるそう。
 高度成長期には、人間も含めて実証実験の対象とされるような事例が、身近に数多くあったように……

 江戸城防衛のため橋が少なかった江戸川ですが、現在3箇所に橋を新設する構想があるらしい。その経緯は、江戸時代当初は隅田川に千住大橋以外の架橋を禁じたため、大火の際に対岸へ逃げられず多くの犠牲者を出したことから、大橋(両国橋)を建設した状況と似ているようにも。
 その発端は東日本大震災の夜、都内から千葉県側へ向かう帰宅者が市川橋などに殺到し、橋を渡るのを諦め東京側の避難施設で一夜を明かした帰宅困難者対策のようです(約8キロも橋がない区間がある)。
 ですが受け止め方によれば、東京都の防衛策(隣県人までは面倒見られない)と読み取ることも可能と思うが、それは失礼に過ぎるだろうか……

2018年4月9日月曜日

野鳥には楽園でも──南行徳

2018.3.10【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_5

 埋め立て地にある野鳥の楽園「行徳近郊緑地」には以前から関心があり、散策を楽しみにしていたのですが……


京葉線 新浦安駅〜市川塩浜駅 間


 海に面した高架軌道を目にし、京葉線が強風の影響で頻繁に止まる元凶? と思ったが、主因は河口に近い鉄橋の下から吹き上げる強風とのこと。地図を見れば、荒川鉄橋は南北方向からの横風をまともに受けそうです。
 舞浜駅に近い鉄鋼通り(鉄鋼団地)や、市川塩浜駅周辺に広がる工場群は、京葉工業地帯の一部とされますが、周縁部は宅地開発の攻勢に揺るぎ始めているようです。

 右は猫実(ねこざね)排水機場のゴミ収集機。浦安側の猫実川と行徳側の丸浜川が接するも仕切られ、別々の水門を通り海側で合流します。猫実川の水面は高く、海水面の高さに見える丸浜川とは排水の目的が違うようです。




 ここは周辺が埋め立てられる際に、野鳥生息の場・緑地保全のために造成された水辺の緑地で、行徳鳥獣保護区宮内庁新浜(にいはま)鴨場があるも、どちらも普段は立ち入れません(見学できると思っていた…)。
 下は水辺南西端の、みどりの国緑地観察路にある野鳥観察窓からの光景で、野鳥マニアのようなレンズや粘る姿勢もないので、こんな写真しか撮れません。観察路の奥は「野鳥繁殖場所のため立ち入り禁止」とされる野鳥の楽園。
 上は早咲きの河津桜ですが、今年は桜の開花が早かったため公開順が逆になりました。


 宮内庁新浜鴨場では、訓練したアヒルで鴨を細い水路に誘導し飛び立つ瞬間を網で捕獲する、鳥を傷つけない伝統的鴨猟が行われます。皇室関連、日本駐在の外交官や賓客接遇の場とされ、日本の伝統・文化を見分してもらうらしい。


市川水路

 野鳥の楽園から海への水路周辺は工業用地ながら、住宅向けの需要が多いため工場跡地での大規模住宅建築が増えますが(違法じゃないの?)、マンション建設地に産廃残土の山があった等の苦情・トラブルが絶えないそう。
 豊洲の土壌汚染のように、高度成長期に欠かせない地域のため目こぼしされたのか? 再開発時には当然バレるルーズさは、経済成長が続けば子どもの世代が負の遺産を帳消しにしてくれるという、楽観的な考えによるのでは。
 ベビーブーム世代の負債を少子世代に押し付けようとする政治誘導の問題点が表面化し、国民の問題意識が政治に向けられ始めているのではないか。


 右上は漁船専用の係留施設(漁港)で、旧江戸川にある暫定係留施設のように仮設の浮き桟橋が設置されます。
 漁港には倉庫や作業場が必要なため、使われなくなった船を並べ物置きとする様は漁師的とも。

 右は、浮き桟橋から荷揚げするためのクレーン(関係者以外立ち入り禁止)。使用期間が長くなると暫定の認識は薄れ、利便性優先から勝手にグレーゾーンを改変し、既成事実化しているようにも。
 護岸で固められた工業用地でも漁師のたくましさが感じられます。


追記──大谷翔平にはメジャーリーグの舞台がふさわしい

 日本人は遠慮がちなので「慌てなくていいから」「まずは慣れてから」と思っていたが、メジャー流に「ガツンと先制パンチ」のアピールをやってのける姿には、彼にとってはメジャーリーグこそが自分を表現する場なのだろうと。
 メジャーリーグで語り継がれる、野茂英雄、松井秀喜、イチローの精神から学ぶだけでなく、自らを向上させるものはすべて吸収したいと考えるようで、その先にどんなビジョンを抱いているのか、目指す道のりの一歩一歩にワクワクさせられます。
 くれぐれも、無理をしませんように(日本人的な応援でスミマセン)。


追記──郵便局のスーパーカブ 第四話

 普段とは違う停止・加速のエンジン音を耳にし観察してみると、敷地内の道に赤いパイロンが設置され、その先に白バイが止まっています。春の全国交通安全運動(4月6日~15日)に向け、警察の指導を受けているようです。
 スーパーカブは配達業務の利用が多いため概してイメージはいいが、中でも赤いスーパーカブはNo.1であるべきとの意識が、信頼につながるのではないかと。

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...