2018年5月28日月曜日

禁足の地を守る──本八幡

2018.4.30【千葉県】──JR総武線を歩く_2

 千葉県を知らない者は本八幡について、都営地下鉄新宿線終点の知識しかないため、JR総武線にも本八幡駅がある(京成八幡駅も)と驚くことから始まります。大変失礼……



 八幡(やわた)の地名は、平安時代の天皇勅願により京都・石清水八幡宮を勧請し建立された葛飾八幡宮にちなみます。
 現在、境外末社とされる右の不知森神社は、「一度入ったら出てこられない」「入れば必ず祟られる」とされる禁足の地「八幡の藪知らず(不知八幡森:しらずやわたのもり)」の入口にあり、森を封印する存在のようにも。
 決して広くない竹林ですが、市街地にそんな薮を残そうとする住民の方々は、自然を敬い、身近に感じる、心穏やかな生活を送っているのではないかと。



 下総国の総鎮守で武神とされたため、平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など関東武士に信仰されたそう。
 下は、国指定天然記念物 千本公孫樹(千本イチョウ)で、 多数の幹が束になり一本の大樹のように見える姿には、比類ない迫力があります(推定樹齢は1200年、幹回りは10m以上)。

 前回の法華経寺同様、右の参道も京成線に分断されており、平地が狭かった時分の鉄道敷設の苦労が見て取れます。2013年京成本社は、押上(東京スカイツリーの足元)から京成八幡駅前に移転しました。




 「日本映画黄金期を代表する脚本家」と評されるように、今井 正 監督『また逢う日まで』『ひめゆりの塔』、市川 崑 監督『おとうと』等々の名作を手がけ、成瀬巳喜男 監督『浮雲』では、原作 林 芙美子、脚本 水木洋子、主演 高峰秀子が生み出した女の情念の迫力は、どなたが欠けても生まれなかったであろう、強烈な印象として残ります。
 2003年に逝去され(享年92歳)、生前の意思により財産は市川市に寄贈され自宅が一般公開されますが、公開日ではないため未見。右は近所にある黒松の大木。
 「本八幡に降り立つと海の匂いがした」ように当時は海が近く、現在も黒松が点在する光景から「鎌倉のようだ」とされたこともうなずけます。



 日本毛織(略称:ニッケ)中山工場跡地再開発により、1988年に誕生したショッピングセンター(コルトン:ロサンゼルス郊外のリゾート地コルトンに由来)。
 敷地は広大なため、周辺にゴルフ練習場、インドアテニス施設、下の千葉県立現代産業科学館、市川市中央図書館が作られました(古墳時代後期の集落遺跡が出土した住宅展示場付近は含まれないか?)。
 右は敷地内にある雰囲気のいいgalleryらふとワークショップが開かれる工房では、天然素材とふれあい、手作りを楽しむ催しも開かれ、インスタ映えする絵が撮れそうと。




 千葉県内の企業、大学、財団法人等の最先端技術や取り組みを紹介し、実験・実習を楽しみながら学べる施設。千葉県立博物館のひとつとされ、子どもたちにアピールできる格好の施設ですから、多くの企業・団体が協賛しています(上は火力発電所のタービン)。
 ホームページに掲載されるプラネタリウムは、期間限定の12Kデジタル投影+MEGASTAR-FUSIONによる上映会とのこと(12Kってデジタルハイビジョンの何倍? 投影は可能でも、テレビで表現できないということか?)。
 そんな機械を担いで出張興行する様は、自転車でやってくる紙芝居のようで(実際に見たことはない)、現代にも「夢を運ぶ仕事」があるのだと。



 1989年開館のモダンな建物の奥にある塔は、本を積み上げたオブジェですが、わたしには以前の古紙回収トラックの古本・雑誌のように(ゴメンナサイ)。

 付近の鬼高の地名由来は、隣接地の鬼越(かつておそろしい鬼が棲んでいた)の「鬼」と、高石神の「高」を合わせた地名とのこと。鬼は人が作り上げた偶像ですから、近寄ると危険な場所(真間川流域の湿地帯)を知らせるためのアピールだったようにも。


追記──社会を意識しているのは学長だけ?

 マンモス大学と言われた日大の巨大な組織が、「マンモスの滅び方」を教授するかのような醜態をさらしています。
 呆れてものも言えない対応は卒業生にとっても恥ずかしいが、在学中の学生たちを守ろうとする素振りも見せない組織は、教育機関と言えません……

2018年5月21日月曜日

集客力ある丘陵地──下総中山

2018.4.21【千葉県】──JR総武線を歩く_1

 地下鉄東西線終点の西船橋から総武線沿いを少し歩こうと、東京側へ向かいます。東京都と県境の江戸川沿いでは、丘陵地のある千葉県側が古くからにぎわいました。




 本寺は、1260年下総国守護(行政官)千葉氏に仕えた被官(ひかん:国の役人)が、佐渡へ配流された日蓮を屋敷内の法華堂で保護したことに始まります。
 境内には、雑司ヶ谷下谷と共に江戸三大鬼子母神とされ江戸庶民に信仰された中山鬼子母神や、100日間の荒行が行われる大荒行堂があります。
 京成中山駅から続くなだらかな坂道には門前町のなごりがあり、門内に並ぶ子院群から京都にある禅寺の塔頭(たっちゅう)を想起するような大寺院です。山号「正中山(しょうちゅうざん)」が中山の地名由来。
 江戸川対岸の妙典付近に日蓮宗寺院が多いのは、地域を開墾した千葉氏系子孫によるそうです。




 以前、中山競馬場近所の方に聞いた「競馬開催日の周辺は車が動かない」の道路事情は、開催日ではない土曜日も渋滞する様を見れば、尋常でない混雑が想像できます。
 レースが無い日も人が集まる「場外馬券売り場」では、椅子でなく床こそ主戦場(?)と座り込むため競馬新聞が散乱しますが、ディズニーランドに及ばずとも、清掃の方がさっさと片付けてくれます。
 競馬場にある子ども向けの施設は無料なので、近所の家族連れには格好の遊び場ですが、開催日渋滞のお詫びとされても困りそうと。
 皐月賞、有馬記念が中山開催すらも知らなかった……


 競馬場からJR武蔵野線 船橋法典駅への地下通路がありますが、専用改札口(開催日・場外発売日のみ)のため、反対側の市街地へ出るために入場券を買いました。
 法典は、駅名=ほうてん、地名=ほうでん と読み、「法傳」の地名に由来する説がある程度で、宗教的な由来に関しても不明とのこと。



 地図で円形の外周道路に囲まれた地区を目にし、2007年に撤去された象のオリ(沖縄県読谷村の楚辺通信所)を想起したように、ここにも1915年開設の海軍無線電信所船橋送信所がありました(全方向との交信用アンテナ)。
 その通信施設が、関東大震災で壊滅的な被害を受けた都心の通信所に代わり東京の惨状を発信したことから、船橋の名が世界に広まりました。
 開戦命令であるニイタカヤマノボレ1208の電文はここから送信されたため、当然戦後は進駐軍に接収され、1966年返還〜1972年に解体されました。

 跡地(リンク先は1989年撮影の空中写真)は学校(小学校2校、中学校1校)、団地、社宅、運動広場(グラウンド)、行田公園(県立)などに利用されますが、円形の外周道路に囲まれた地区って利用しづらそう。
 立派な大木が多く見られるのは、軍事施設なのに空襲被害を受けなかったためで、米軍は占領後の利用を想定し攻撃しなかったように。
 右は、清掃用具を木に収納(?)する様子。倉庫ではなく見える場所に置くことで、気になった人が気軽に利用できるため、公園がきれいに保たれそうと。

 右は公園隣接地にある消防署訓練の様子。
 腹部のロープは、右手前から2人が引き、足を絡めたロープは下で1人が支えます。右側目盛りの地上15m付近で訓練は終了らしい。
 自力で登れる力はあっても(SASUKEではないし)、実際は防護服着用のため動きにくく、階上のけが人救助ではチームワークが必要になりますから、現場を想定した訓練は欠かせないものと。
 毎回つくづく思いますが、万一の場合はよろしくお願いします!

2018年5月14日月曜日

ふなばし三番瀬海浜公園の潮干狩り

2018.5.5【千葉県】

 連休中に潮干狩りでにぎわう、ふなばし三番瀬海浜公園へバスで向かいますが、車窓から路上駐車が続く様子を目にした瞬間、連休のうんざり感が……




 三番瀬(さんばんぜ)は、旧江戸川から供給された土砂により東京湾奥部に形成された干潟や浅海域で、西端のディズニーランド付近から、東端の千葉港付近まで広がっていました。現在ではそのほとんどが埋め立てられ、立ち入り可能な海岸はここだけらしい。
 最寄りのJR京葉線 二俣新町駅付近には「海浜公園まで2km」の看板がありますが、陸側も埋め立て地で、江戸時代は西船橋駅付近も干潟だったとのこと。
 埋め立て後に整備された砂浜には、ビッシリとテントの花が並びます。


 ガキの時分、埋め立て前の幕張で潮干狩りをした時には、ザクザクの表現がふさわしいほど採れた記憶があります。
 どこまでも続く遠浅海岸の沖に豆粒のような人影の見え、あそこではどれだけ採れるのだろうと眺めていました(この付近が当時見た沖の彼方くらいの場所かも)。
 潮干狩り場には漁協がアサリをまくそうですが、沖まではまかなかいでしょうから、ハマグリを狙っていたのか?(当時はハマグリも採れました)


 砂浜とはいえ水遊びはできないため、砂遊びに飽きた(採れなかった?)子どもたちが遊べる噴水があります(下)。砂を洗う施設はある程度の数はあっても行列のため、「あそこで砂を洗ってらっしゃい」という連中もいそうと。
 貝の生態を知ることは経験になるし、上の人が持つスコップでは貝をつぶしてしまうためクマデが最適との知識も、これまでの生活で少しは役立ったかも知れません。


 潮干狩り場は、利用料金(大人 430円)とは別にアサリの持ち帰り料金(100gにつき80円)、貸クマデ:1本200円(返却時100円返し)がかかります。
 そのためか、区域外の浅瀬(下は禁漁区域)にも多くの人が出ています(京葉線車窓から江戸川河口付近にも人出が見えた)。付近から大陸系や東南アジア系の言葉が聞こえてくるのは(もちろん日本語も)、本国では潮干狩りが不可 or タダだからか。
 ご想像の通り、度を越した爆・潮干狩りに迷惑しているらしい。


 地域で売り出し中の、焼きホンビノス貝を初めて食べました。北米に生息する外来種(日本での初見は1998年千葉市)で、小ぶりのハマグリ的容姿ながら、味は濃いめ・固めなので酒に合いそうですが、やっぱハマグリでしょ。
 アメリカではクラムチャウダー、バターやワイン蒸しにするそうで、その調理法は美味そうと。

 ここは工業用地に囲まれるため、沖には大型船(右)、振り返れば産業廃棄物の山が迫る立地です(下)。
 この取り合わせからは、海浜公園の方が無理やり入り込んだように見えますが、共存できる環境整備を将来的な目標としたいところです。



追記──『倍賞千恵子の現場』 倍賞千恵子著 PHP新書

 久しぶりに本を読みました。
 渥美 清さんとは波長が合ったそうで、撮影時の掛け合いがハマり過ぎて笑い出すNGを繰り返したとのこと。現場の明るい雰囲気がスクリーンから溢れ出るのは役者の技量と言えますが、渥美さんとは兄妹ではなく戦友に近い関係だったように。
 映画を振り返る文章から場面を思い浮かべ、彼女の思いが伝わっていたことの再確認や、初めて知る裏話に感心していると、映画を再検証したい気持ちが高まります。
 真摯に取り組む姿勢が心に響いた作品群を、出演した方の文章を読み振り返ると、カチコチに固まった心を耕してくれるかのように「ちゃんとやってる?」と声をかけられ、「ちゃんとやらなきゃ!」の背中を押してくれたようにも……

2018年5月7日月曜日

水いずる岬──西船橋

2018.4.28【千葉県】──地下鉄 東西線を歩く_9

 西側からアプローチする者にとって、千葉の玄関口は西船橋駅の印象があるように、乗り換えターミナルとしては千葉県内でもっとも利用者数は多いそうですが、駅の外に出る人は少ないため駅周辺はこじんまりとしています。


西船橋駅

 この駅には、JR総武本線、武蔵野線、京葉線(武蔵野線と相互乗り入れ)、東京メトロ 東西線、東葉高速鉄道 東葉高速線が乗り入れ、京成西船駅も徒歩5分程度の場所にあります(右は武蔵野線ホーム)。
 京成西船駅の名称は西船橋の通称ですが、それが定着したことから自治体が地名とし、駅名もそれにならったらしいが、「それでええんかい?」と部外者はツッコミたくなります。
 1978年武蔵野線開業まで中山競馬場の最寄り駅だったため、その筋向けの飲食店や風俗店が多いそう。




 西船橋駅から乗ったバスは「ファイターズタウン鎌ヶ谷」行きで、北海道日本ハムファイターズ二軍の練習施設はこの辺にあるのかと。
 前身の東映フライヤーズ時代に多摩川河川敷(川崎市新丸子)に練習場を設け、後の相模原球場(相模原市)を経て、1997年鎌ヶ谷に移転します(神奈川の2箇所はどちらも身近な印象がある)。清宮クンは一軍に昇格したので、これからは閑散としそうです。

 上は八坂神社のヤブツバキの大木(門前に鎌ヶ谷への道標がある)。


葛飾湧水群

 以前、千葉、茨城、埼玉、東京にまたがる広い地域が「下総国葛飾郡」とされた経緯から、親しまれた葛飾の名が付近の神社や学校名に残る地域で、京成西船駅も以前は葛飾駅でした(確かに葛飾区とまぎらわしい)。
 JR総武線、京成線付近は丘陵地の末端で、縄文期は丘陵の奥まで海が入り込んでいたため、遺跡や貝塚が発掘される歴史を持ちます。
 付近の湧水には、谷筋に湧出するゲエロの池(右:ご想像の通りゲエロはカエルの方言)、葛羅の井(下:かづらのい)と、当時の海に面した斜面下に湧出する、二子浦の池、二子藤の池があり、地形的な分類はされますが、どちらも海の浸食により出現したように。



 水に恵まれた谷筋の低地には農地が広がっていたため、まとまった土地の確保が可能なようで集合住宅が並びます。ゲエロの池隣接地でも建設工事が始まっており、地下水脈の息の根が止められてしまいそうと。
 谷筋の斜面に、旧農家らしい敷地の広い屋敷が並びますが、井戸を掘れば水が手に入る土地だったように。


 水が不便な丘陵地も農地だったようで、全般的に区画整理は進まず田舎道が残される様は、便利な道ができれば騒音・危険が増えるだけと、車の侵入を拒もうとする姿勢にも。
 それは中山競馬場が近いため、「開催日は居住者以外通行禁止」の標識があっても無視する車への対抗措置に見えるが、自治体が何とかすべき問題かと。
 上は旧農家の防風用(?)の生け垣。


 以前、丘陵下を通る千葉街道の海側には砂浜が広がっており、二子浦とされる浜から日蓮が船に乗ったとされます(近くに中山法華経寺がある)。
 千葉街道の下には、地元で「溜(ため)」と呼ばれる湧水池が人工的に作られ、その身近さから現在も池として残されています。上:二子浦の池、右:二子藤の池。

 古地形によると、西の東京側に広がる広大なデルタ地帯に岬のように突き出した丘陵地の東側は、海沿いの平地が狭くなる様子がうかがえ、地形的にも千葉の玄関口であるように感じられました。


追記──これが、松坂大輔!

 帰国後も活躍できず、中日の森監督(元西武)が手を差し伸べた心意気にも、大丈夫なのか? と、ネガティブな見方をしていました。
 全盛期と違うのは当たり前でも、胸を張って打者に向かい投げる姿に「これが、松坂大輔!」と。当事者たちも、見る者も「この姿が見たかった」とジーンと来ました。
 あの姿を見たら、甲子園での熱投を知るオヤジたちも「自分に喝!」と、勇気がわいたのではないか。


追記──連休の谷間

 連休中も暦通りに出勤すると、乗客の少ない地下鉄は定時運行されるため、停車中の駅で「当駅○○分の発車です。しばらくお待ちください」のアナウンス。たかだか数十秒程度ですが、時刻表はラッシュ時の乗降時間を見込んで組まれていることを実感しました。


追記──最高の花道を用意してもらったイチロー

 マリナーズのオーナーは動静を見守り、声をかける球団がいなくなった時点で呼び寄せようと考えていたのではないか。可能なパフォーマンスを「地元」シアトルファンに披露した上で、球団の「宝」として受け入れる方策を探っていたように。そこには「金」に左右される動機ではなく、彼の存在すべてを受け入れようとする懐の深さを感じました。
 相思相愛の相手から最高の花道を用意してもらったのだから、未練云々もないことと。
 立場の詳細は不明ですが、これからの活躍を!


追記──キラウエア火山噴火(ハワイ島)

 道路から溶岩が噴き出す光景には驚きました。新しい割れ目火口がどこにできるか予測できないようですが、流動性のあるマグマ(流れ出す溶岩:爆発性が低い)がゆっくり流れるため、被害者が出てないことは何よりと。以前わたしも見学しましたが、身近に溶岩を観察できる様は(湯気が出ているし暖かさが伝わってくる)、観光対象というよりも研究対象ですから、近隣住民への配慮からも見学はしばらく自粛すべきと。
 ハワイ島に暮らすなら北西側のコナ方面は火山活動も静かかと。

 いろいろあった連休でした……

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...