2018年7月30日月曜日

最強のインパクト──千葉_2

2018.7.15【千葉県】──JR総武線を歩く_11

 この日は、JR京葉線 蘇我駅(遠いイメージを体感したかった→実際遠い!)からバスに乗ります。地名から飛鳥時代の蘇我氏を想起するように、大化改新で暗殺された蘇我入鹿(そがのいるか)の弟が暮らした説があります。内房・外房線はここから分岐します。




 企画展示「恐竜ミュージアム in ちば」の宣伝を目にし足を運びます。
 特段の恐竜好きではないが、岩の中から化石を発掘する作業者って、およそ1億年前のタイムカプセルを解き放つよろこび+緊張感でシビレまくりそうと。
 子供には見た目のインパクトが重要なため、迫力ある展示に腐心しているようですが、どんな工夫もティラノサウルスの歯のインパクト(上)にはかないません。大きな牙が並ぶ様に「これぞ恐竜」のイメージを持つ人は多いのではないか。
 千葉県が自慢したい「チバニアン:地球地磁気の最後の逆転(理由は未解明)が記録された地層」(正式決定は来年?)の説明には工夫が感じられるも、これで伝わるかなぁ?




 ここは、日本の畜産技術研究発祥の地とされる農林水産省畜産試験場(1917年:大正6年)跡地を整備した公園で(1987年)、上記の中央博物館、芸術文化ホール(この日もコンサートが開かれていた)、西洋庭園(上)、彫刻の広場(右)や各種グラウンドがあります。

 猛暑日に近い暑さなので、庭園や広場に人影はありませんが、木陰でうごめく群れが見え隠れし、皆スマホをのぞく様子から、付近には恐竜ならぬモンスターが潜んでいそうと。ハンターの方がゾンビじゃないかとギョッとしますが、暑い中でも公園まで足を運ばせる力は、引きこもり対策の参考になりそうと。



 これまで千葉の地名は、地方豪族 千葉氏(桓武平氏)のゆかりと思っていたが、「葉が多く重なる→千葉」等の説がある地名を豪族が名乗ったとのこと。
 寺の始まりは709年とされ(712年 古事記の時代)、桓武平氏ルーツとされる桓武天皇(737年〜806年)より古い。
 千葉氏居城に近いため祈願所とされ、境内にある瀧蔵神社(右)の賽銭箱左側には千葉氏の紋があります。
 寺のシンボル大イチョウの下で、年配の団体がスマホを手にオリエンテーリングのようなことをしており、寺をテーマとしたアプリで遊んでいるようにも(その正体は不明)。
 最寄りの京成千原線の駅名は「千葉寺:ちばでら」。



 現在の千葉大学は、旧六医科大学とされた旧制千葉医科大学から1949年国立大学とされます。
 近頃、CT画像見落としの医療ミスで患者が死亡したことから、過去の同様ミスが報告されます。診療科間の情報共有に問題があったとされるが、それでは何のために総合病院で診てもらうのか? ってことになります。紹介状なしで大病院にかかる際の特別料金って何のため?

 キャンパス内外にある七天王塚は、牛頭天王を祭るもので上空から見ると北斗七星の形に配置されるそうで、平将門(生誕不詳)が信仰していた妙見信仰の象徴。付近は将門(桓武天皇の子孫)が暴れまくった地域なので、今後頻繁に登場しそうです。




 千葉市中心街の南東にある、亥の方角(北西よりやや北寄り:北西微北)に突き出した台地の亥鼻(いのはな)に、千葉氏の城(亥鼻城、千葉城)が築かれ、敷地と思われる周辺に城郭建築の郷土博物館(上)、千葉大学医学部(一枚上)および千葉大学医学部附属病院等があります。
 天守からの見晴らしはいいが建物ばかりなので、火の見櫓には適していそうと。
 右は中央博物館で模型を目にした、1879年(明治12年)創立の日本基督教団千葉教会

 飛行機の音が頻繁なのは成田空港が近いためと思っていたら、羽田空港への着陸便とのこと。西葛西も乱気流等の回避経路らしく、時折真上を通過することがあります。どちらも騒音レベルではないにしても、千葉市民にすれば迷惑に違いないと……


追記──台風が過ぎて感じる夏らしさ

 猛暑、豪雨に加えての台風でしたが、台風が過ぎてようやく普段の夏らしさを感じたのは、青い空に湧き上がる入道雲を目にしてからと。気象庁が「災害と認識」したのは突発的な暑さに対するものですが、季節感を乱す異常気象を「災害」とする判断は、われわれの基準と同じように。
 様々な東京五輪2年前イベントが開かれるも、2020年の夏がこの状況としたら、オリンピックをやってる場合か? とも。以前にも猛暑五輪の記憶はあるが、台風が来たらどうするのだろうか? いずれにしても観客は、サバイバルな状況を覚悟する必要がありそうと……

2018年7月23日月曜日

土地が町を育てる──千葉_1

2018.6.30【千葉県】──JR総武線を歩く_10

 JR千葉駅は、内房線、外房線、成田線、中央・総武線各駅停車のターミナル駅で(総武本線は銚子へ続く)、成田線のホームに降りてみると、発車ベルが鳴り終わっても駆け込む乗客を待つ駅員の姿が見られます。これで発車だろうと思った頃、おばちゃんが「すみませ〜ん!」とゆっくり階段を降りてきても、転ばれたら困るのでもちろん待ってあげます。
 そんな情景から、運行本数が少ないローカル線ターミナル駅の役割と、千葉市の土地柄を同時に理解できたように……


千葉駅 エキナカ「ペリエ千葉


 2016年部分開業し、2018年6月グランドオープンしたばかりのエキナカ施設にはスーパーも入っており、ローカル線の待ち時間にエキナカで買い物できるのも千葉駅らしさと(地元住民は値段が高い認識を持つそう)。
 駅周辺施設をリニューアルしたせいなのか、一帯は大雨で何度も冠水します。改修したとしても、これからも局地的な豪雨は増えそうですから不安は続きそうと。



 懸垂式が選ばれたのは、急カーブの道路上を通すためで、同方式モノレールとしては世界最長とのこと。
 複線のため路線が分岐する右は(1号線 千葉みなと〜県庁前、2号線 千葉〜千城台)、4本の軌道が車体を含む高度差で交差するため、かなり巨大な構造物に。
 同じ懸垂式の湘南モノレール(登坂時に力強さを感じる)は単線のため車両基地への分岐はフラット。跨座式の東京モノレールは電車のようなポイントで分岐可能。
 過密ダイヤを可能とする立体分岐はマニアがよろこびそうですが、ちょっとお金を掛けすぎのようにも。1979年運営会社設立という経緯から、浮かれた時代に計画された情景が想像できます。



 田町で暮らした時分、電話で住所を伝える際に発音のせいか「みなとく しば」が「ちば」に聞こえるらしく、2度聞き返されたことがあり「芝公園の芝」と説明したことを、この公園名を目にして思い出しました。まさかこの付近で「千葉公園の千葉」と説明する人はいないだろうと。
 右の照明設備は年代物に見え、電源設備等の理由で旧式のライトしか使えず管理費がかかりそうに。
 1949年完成の掘り下げ式の球場で。1955年までプロ野球公式戦が行われたそう。下の入場口は当時の姿か? 神宮球場のようで、ライトに照らされまぶしい芝を初めて目にし、夢の世界と感じたことを思い出しました。




 近年集客力、車券売上が急速に低迷し、老朽化に伴う修繕費の財源確保が困難なため、国際規格の周長250m(現在500m)の、屋内木製トラックを備えた多目的競技場(仮称 千葉公園ドーム)に建て替え予定とのこと。きっとその方がウケそう。
 競輪場は初体験ながらコーナーの傾斜が緩く見えたのは正しいようで、コーナーでスピードが上がらないため、直線で仕掛けるしかないバンク(自転車競技用のトラック)らしい。
 父が競輪をやっていた時分、たまに勝つと「寿司食いに行こう!」と、あぶく銭をふるまっていましたが、それが楽しみだったようにも。ギャンブルしか娯楽が無かった世代も高齢化し、公営ギャンブルが存続の危機とされるのも時代の流れかと。
 父の納骨、一周忌、初盆を終え、とりあえず肩の荷が下りたように……




 ここは千葉市立公園で、陸軍鉄道第一連隊跡地に、野球場、プール(この日がプール開き)、体育館や綿打池(上・右・下)が整備されます。
 新京成線(京成津田沼駅〜松戸駅)は、陸軍が演習用に敷設した線路が払い下げられたように、周辺の丘陵地には多くの軍事施設がありました。
 上の蓮華亭は、ちょうど咲いていたオオガハス(1951年大賀博士が発見した2000年前の古蓮で、検見川の大賀蓮は千葉県天然記念物)を眺められる資料館。
 売りはハスだけでも、市民の憩いの場として親しまれる様子がうかがえ、市民公園としての役割は果たしているように。
 営業終了後にボートを池の中に係留するのは、以前いたずらされたためか?



追記──無尽蔵とも思えるエネルギー!

 ここ数週間近所の江戸川区球場では、夏の甲子園大会の予選が行われており、応援とブラスバンド演奏が球場周辺に響き渡ります。暑さでヒーヒー言ってるオヤジとは別次元に生きる若者たちが備える、青春エネルギーに限界はないのでは? と感じるようになりましたが、当時は本当にそう思っていましたっけ……
 暑い夏に若者たちの熱さから勇気をもらう日本独自の文化ですが、くれぐれも熱中症にはご注意ください。

2018年7月16日月曜日

夢を抱かせてくれた──幕張_3

2018.6.24【千葉県】──JR総武線を歩く_9

 幕張メッセに通い始めた時分は千葉方面に暗かったため、JR京葉線 東京駅(現在 有楽町駅から改札外の乗換えが可能らしい)から「舞浜って近いんだ」と感じるも、各停だとその先が遠かった印象が残っています。




 1989年開業なのでもう30年になるそうです。
 以前はコンピュータ関連の展示会に足を運び最新技術を見聞しましたが、当時は大型機種からの技術移植のため大仕掛けで、パソコンレベルの製品でも高価でした。
 そんな壁を崩したのが、インターネットの一般ユーザーへの普及で、パソコンの自宅利用が増えたためネットワーク機器から安価な製品が出始めました。
 当初は東京国際見本市会場の代替とされ、幕張新都心開発の旗印とされるも、パシフィコ横浜(1991年)、東京国際展示場(1996年)開業により都心回帰が進みます。
 ですが、この日も開かれるライブや、アニメ等のイベント(コミケってやつ)により、2016年最高利用数を記録したそうで、サブカルチャーイベントのメッカとされるのも悪くなさそうと。




 うわさには聞いていたが敷地面積が広いため、買い物目的が無い者は店内を歩くことに飽きてしまいます。
 仕事柄蔦屋書店を見学するつもりも、日曜のせいか人が多く(書店ってこんなに人が集まるの?)あまり歩けなかったが、この集客は企画力によるものと感心させられます。本は生き物なのに、出版社側も、読み手との間をつなぐ書店も、育てていく意識が弱かったため、読者層の縮小を招いたかも知れないと。


 幕張新都心の開発は、ビジネス街、住宅街、ショッピングモールを近接させるとともに、マイカー利用を前提とした都市整備を目指したようですが、他と同じように駐車場は広くても出入庫で渋滞が発生します(ららぽーとにはその印象は無かった)。
 コストコホールセールの入り口をのぞくも、家族で戦場に向かうような入れ込み様に圧倒され早々に退散しました。会員制のため会費を取り戻そうとするようにも。

 住宅、オフィスビルの建設や、ショッピングモール誘致だけでなく、活気を下支えするためハイテク企業やイオン本社など企業の丸抱え誘致を目指す戦略が功を奏し、街の活性化基盤が整えられます。




 この日は西武戦が行われており、球場の外まで響く歓声の威勢はよかったが、この日マリーンズは敗北。女性ファン(「ロッテ女子」ではチョコ好きのようにも)には一途な印象があったり、ナイスガイの井口監督(悪いイメージを持つ人はいないのでは?)を応援したいと思うが、低迷しています……
 海に面する球場のため、風の影響を受ける映像をよく目にしましたが、上のようにバックスクリーン裏が砂浜ですから、海風をモロに受けるのも当然と。



 幕張メッセで開かれたMacworld Expo/Tokyo(パソコンMacのイベント:1991〜2001年)は、Macユーザ唯一のお祭りなので毎年足を運びました。当時勤務していた週刊誌はAppleと懇意だったのでWWDC(Worldwide Developers Conference)を聴講した際、このホテルのパーティーに参加したことがあります。
 別の機会の記者発表に出席した同僚の女性が、スティーブ・ジョブズに気に入られ、帰途に直接電話を受け引き返して食事をしたそうで、「わがままなおっさん!」の印象は分かる気がします。
 様々な夢を抱かせてくれた施設から思い出がよみがえり、遠くても足を運んだ理由を再確認しました。
 右奥はアパホテル リゾート東京ベイ幕張(旧幕張プリンスホテル)。


 京葉線 海浜幕張駅から地下鉄東西線 西葛西駅(自宅)へは、JR武蔵野線で西船橋駅乗り換えが便利と知り、初めて武蔵野線を利用します(直通 or 南船橋駅乗り換え)。マリーンズファン等で大混雑するも、多くは西船橋で乗り換えます。東西線は混まないので、多くは総武線への乗り換えらしいが、そんな人の流れがあることを初めて知りました。

 京葉線沿線の大規模な住宅街開発には「都心に近い」新浦安駅周辺があるが、町づくりの方針がしっかりしている付近の方が暮らしやすそうに見えます。埋立地なので東日本大震災で液状化被害を受けますが、豪雨被害を受けた傾斜地や川の合流部より「よっぽどマシ」に映るかも知れません。ですが、液状化被害は一度では終わらないらしく、今後も被害が発生する恐れがあります。
 平坦地の狭い国では、安心して暮らせる場所を探すことが人生のテーマのように……


追記──現在の住居での災害対策

 豪雨被害のニュースを目にして、自宅周辺でシミュレートしてみようと。
 現在暮らす部屋は11階なので浸水、土石流の心配はありませんが、西の荒川、北の中川、東の江戸川から堤防で守られるゼロメートル地帯なので、堤防が決壊したらOUT! 排水に時間がかかれば、一週間程度の水・食料の備蓄が必要になります。
 避難する場合も、江東区のゼロメートル地帯の地下を通る東西線がNGとすると、西船橋方面の丘陵地を目指すのか? 考えただけで気が遠くなりますが、それが想像を超える自然災害対策の難しさかも知れないと。


追記──日本人の底力

 7月中旬の連休に、豪雨被災地の支援にボランティアが集結します。
 高温注意情報が出される猛暑日にもかかわらず、汗だくになって家財の片付けや、泥をかき出す姿に、日本人の底力を感じました。被災者が涙を流して感謝するように、そんな姿こそ「カッコイイ!」と讃えたい。
 困った人を目にした際、自主的に手を差し伸べる心を持ち合わせていれば、この国の精神は滅びることはないと、次の世代に伝えられそうです(でも、国が滅びることはあるかも……)。

2018年7月9日月曜日

海に砂をまくこと──幕張_2

2018.6.9【千葉県】──JR総武線を歩く_8

 「新都心の中にあって、貴重な緑の創出とともに、国際交流の場としての役割を果たせるよう、グローバルな視点から誕生したのが、ここ幕張海浜公園です」──by 千葉県
 目標の達成度は不明ですが、かなりお金をつぎ込んでいるようです。




 ビッグハットのベンチと花時計(後方)が並ぶ光景は、女の子+母親には受けがいいらしく、付近にはゆるりと集まる姿が見られます。
 花時計はガキ時分のトレンドで、向ケ丘遊園等の施設で見かけましたが、花も時計も維持にはお金が掛かるらしく、時計が壊れた後は花壇〜植え込みとされていました。


 幼児が群れるとすぐけんかになるのは、自我に目覚め自己主張が盛んになるためらしく、集団の遊びでけんかをしながら仲間との付き合い方を学ぶようです。
 多くの子どもは、徐々に他人を尊重することを学びますが、自己主張を続け大人になった存在を「個性的」とするのは、輪を重要視するこの国特有の評価なのだろうか?
 個性ってのは、持って生まれたものはもちろんですが、幼少期に限らず周囲との付き合いから形成されるものではないか、と感じさせられた光景です。



 国際交流の場とされる公園施設には「日本庭園が必要だろう!」のかけ声が動機とも感じますが、昨今の外国人旅行者は日本文化を好むようなので、和テイストの公園はアピールになりそうです。
 とは言え、いくら趣向をこらしても不要な借景(周囲の建物)がついて回るため、もっとも大切な落ち着きが感じられません。日比谷公園の西洋式庭園が都市になじむと感じるのは、見慣れたせいか?
 ですが見方をひっくり返し、この庭園は隣接住宅のベランダから庭の様に眺めるためのもので、その特権を有する部屋には「庭園整備費」が課金され、それを庭園運営費に当てるとすれば、半分程度は納得できそうと(一般の入園料は100円徴収されます)。



 海岸通り沿いには、オーシャンビュー(東京湾ですが)を有する高層住宅が並びます。視界が開けた立地とフェニックスの並木が、南国リゾートをイメージさせる街並なので、空いた空間にも白い建物が並べば幕張とは分からないのではないか(ルックスだけの話しですが…)。




 この人工海浜は埋め立て事業の際、事業主体の千葉県が造成を約束したもので、1979年オープン当時は、海水浴客やウィンドサーファーなどでにぎわいますが、周辺海域の浚渫(しゅんせつ:海底の掘削)等の影響から、砂浜は浸食され狭くなってしまいます。
 砂の補給、養浜工事や波を弱める潜堤(海面下の堤防)等の対策も実らず、現在は遊泳禁止とされます(維持を目指した時分は莫大な費用をつぎ込んだらしい)。


 千葉県には、東京湾内なら富津、太平洋側なら九十九里に砂浜はありますが、近場の手軽さを考えると「まあいっか」と、ある程度満足できそうに。
 付近は、西(船橋側)に倉庫群、東(千葉側)に工場の建物が目に入る場所ながらも、海と向き合えば周囲の環境に関係なく心が落ち着きます。
 人の視界は融通が利くが、写真は正直に背景をしっかり映し込むため、上は背景が写らないロケーションを探しているようにも(左はモデル役)。
 海に砂をまくことは、砂漠に水をまくようなことでも、「海の子」たちを引き寄せる力を持っています。



追記──2018 FIFA ワールドカップ ロシア大会 日本の幕切れ

 予選リーグ最終戦の不本意な時間稼ぎは、決勝トーナメント ベルギー戦にチャレンジするためだったことを証明するような、期待にたがわぬ戦いを見せてくれました。結果として力の差を見せつけられましたが、「勝てるかも知れない」と思えた瞬間があったことは、今後の夢につながります。
 乾、香川、柴崎選手らが世界の注目を集め、後進の新たな目標となったことも、この先の希望になりそうですし楽しめた大会でした。2ヶ月間ながら西野監督お疲れ様でした。
 幕切れとともに大谷翔平クンが復帰したので、サッカーロスはなさそうです……


追記──広範囲に及んだ西日本豪雨被害

 これまで梅雨の豪雨被害を幾度となく目にしましたが、ここまで広範囲に被害をもたらした豪雨の記憶はありません(台風は通り過ぎるが今回の豪雨は停滞しました)。
 関東地方だけに張り出した太平洋高気圧が、関東の梅雨明けを早め、梅雨前線を活発化させる暖かく湿った空気をせき止めたため、同じ地域で豪雨を長引かせたように。
 「これまでに経験したことが無い異常事態」は毎年どこかで起きていますから、警告の受け止め方を見誤らない準備が必要です。
 被災された方々が一刻も早く普段の生活を取り戻せますよう……


追記──オウム真理教事件 死刑囚の刑執行

 事件の全容解明は不可能と思っていましたが、ひとつの区切りを向かえました。その判断は、被害者及び関係者に対する配慮のためとされるのでしょう。
 海外からは「大量虐殺」との批判がありますが、当事者であるわれわれ日本人には、「7人の殉教者」とされたくない、後継団体のアレフには現在も1,500人余りの信者が属する、地下鉄日比谷線 築地駅で時折想起する、等々の切実さがあるため、事件から23年経過した現在でも客観視できず、批判に耳を傾けられないように。
 事件を知る日本人で、事件が終わったと思う者はいないのではないか? と……

2018年7月2日月曜日

東京にできない町づくり──幕張_1

2018.6.9【千葉県】──JR総武線を歩く_7

 JR総武線 幕張駅に降り立ち、ガキ時分の潮干狩り当時の面影を探すも、半世紀ぶり(こんな時間の単位を使うようになるとは)なので、完全に浦島太郎の心境です。当時は、海水浴場の玄関口らしい潮の香る空気感があったと思うが、特色の無いローカルな駅前になっていました……


旧海岸線(国道14号:千葉街道)

 国道14号(千葉街道:日本橋〜千葉市)は、津田沼〜千葉間の旧海岸線を通されたので、右付近に旧堤防が続いていたようです。
 付近には、堤防の高さで海に張り出す京都鴨川の納涼床のような海の家が並び人出も多かったが、ザクザク採れるので夢中で砂を掘った記憶があります。
 成果の網はバスケットボール大ほどあり、帰路の総武線の床に置くと、アサリの吐く塩水と砂で床が汚れ車内に潮の香りが広がるも、「たくさん採ったねぇ」と受け止めてくれるおおらかな時代でした。当時の海沿いを走る路線は、どこも床は結構ジャリジャリしていたように。
 成果は近所に配って回りましたが、いま考えると採り過ぎですが、アサリ減少の原因は環境変化によるように……


幕張新都心 業務研究地区(海浜幕張駅北側)

 周辺の埋め立て事業は、戦後間もない1945年食料増産を目指した緊急開拓事業として始まり、1964年最初の造成が完了します(上の国道14号陸側)。
 1973年住宅利用を目的とした埋め立てが始まるが、東京に集中する業務中枢機能の分散を目指した新都心建設に舵が切られ、後に学生増対策のため教育文化施設が付加されます。
 千葉県主導(1972年〜2010年)の「職・住・学・遊」が融合する、未来型の国際都市をコンセプトとした新都心は、522.2ha(ヘクタール)≒東京ドーム111.68個(東京ドーム計算機なるものがある)の広さがあります。
 右はIBMビルのエントランスで、ビル敷地に竹林や池などを配置するゆとりこそ、新都心の狙いかと。ですが、本社機能を再び東京に移転した会社が多い。
 京葉線 海浜幕張駅の開業は国鉄時代の1986年で、当時は干潟の「浮島駅」とされたそう。


幕張海浜公園 公園・緑地地区(駅周辺)


 土曜昼下がりの公園を歩く学生の姿は、学校案内パンフレットのようで絵になるし、こんな環境なら「明るい青春時代」を過ごせそうに見えます。
 ですが、若い時分を振り返ると、絶好のロケーションなのに「何やってんだろう?」という、無駄に過ごした記憶しか思い浮かびません。そんな「また来ればいい」と思う心根には、時間や可能性の限界を認めたくない意気がりがあったようにも。
 とはいえ、すべての出会いは一期一会と実感できたのは最近ですから、その節目が下り坂の始まるピークだったのかも知れないと……


 駅と住宅地区の間にある幕張海浜公園バーベキューガーデンは、天気がいいこともあり大にぎわい。道具・食材の準備、火起こしや後片付けもおまかせの手ぶらでバーベキューに加え、食材や飲み物の持ち込み可なので、存分に楽しめそう。
 木々に囲まれたキャンプ場、海辺や渓流の雰囲気はないが、「ちょっと家から持ってくる」「スーパーで買ってくる」ができるBBQが受けるのは当然という気がします。虫も少なさそうですし……


幕張新都心 タウンセンター地区(駅周辺)

 以前は、幕張メッセ(1989年開館)で開催されたコンピュータ関連の展示会に足を運びましたが、海浜幕張駅前にある三井アウトレットパーク 幕張(2008年「ガーデンウォ~ク幕張:2000年」から名称変更)が印象にないのは、1996年開館の東京国際展示場(東京ビッグサイト)に多くのイベントが移行し、足を運ばなくなったせいかと。幕張メッセのイベントは1日がかりでした……
 駅正面にあるプレナ幕張(1993年)は普通の商業ビルの印象で、右のクライミングウォールや下のガラス張りのロビーなどがあったとしても、目に留らなかったように。
 隣接のアウトレットとつながったことで違和感なくスッと入れたのは、町の空気感が定まったことによるのではないかと。


 新しい町の成功例の一端を、右の「三井アウトレットパーク 幕張」で目にします。限られた敷地なのに2階建てとし、狭い通路が路地のようににぎわう雰囲気が好評らしく、気軽に立ち寄れる小ぎれいなショッピングパークにはいまも人が出ています。東京じゃないんだから「気取る必要はない」との共通認識が、この町ならではの居心地の良さを生み出しているように。

 海浜幕張へ都心から足を運ぶ側の「遠い」印象を、住民側も当然持っており、子どもがのびのびできる環境でゆったりとした生活を選んだ方々は、痛勤の覚悟を決めているようです……


追記──30年以内に震度6弱以上の地震確率予測地図公表

 大阪北部地震に近いタイミングの発表に関心が高まったと思いますが、その中でもっとも確率の高い地点とされた「千葉市 85%」にビビりました(確かに東日本大震災以降、千葉県の太平洋沖の危険度が高まっているように)。大阪 高槻市を離れたと思ったら、今度は全国一と評価された千葉市の近くに越してしまったと。
 日本はどこに住んでも地震から逃れられませんから、心の準備を新たにせねばと……


追記──6月中の梅雨明け(仮)

 梅雨明け宣言は後日見直されるので確定ではないにしても、もっとも早い梅雨明けってのは、極端な気象現象の増加、温暖化の実感を裏付けるようで、納得して受け入れる方が多いのではないか?
 東京では、各水系の水を融通する上水路ネットワークのおかげで給水制限が減りましたが、農耕地を含めて水不足にならないなら、暑さは熱中症に気をつけて我慢します……


追記──祝!「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」世界遺産登録

 長崎、五島列島、天草の関連施設を見学した際、信仰心を持つ人々の強さに心が震えた覚えがあります。傾斜地しかない地域に、平地同様の税を課せられ苦しむ人々がすがったのは、国策とは切り離された教えの、長崎に伝わったキリスト教でした。
 弾圧を受けながらも密かに信仰を続けようとする日本ならでは工夫は、独自の隠れキリシタン文化と言えますし、海外のキリスト教徒や他の宗教信仰者にも驚きをもって受け止められると思うので、是非多くの方々(日本人も含め)に見ていただきたいと。
 映画『解夏(げげ):2003年』で、失明の恐怖に直面する大沢たかおの婚約者 石田ゆり子が、出津教会(しつきょうかい)で祈る場面では、現地で知った教会設立の背景までが想起され、涙が止まらなかった……

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...