2018年9月24日月曜日

国内人気 第3位!──アンデルセン公園

2018.9.8【千葉県】──東葉高速線を歩く_4

 国内のテーマパークで、東京ディズニーランド、シーに次ぐ3位に選ばれたと知り関心を持っていましたが、バスの利用が必要な場所にあります。都市近郊ライフをおう歌する方々はもちろんマイカーですから、そんな利用形態にマッチしているようです。



 森の中で久しぶりに蜘蛛の巣を顔面にかぶり、そういう場所であることを渋い顔で思い出します。
 右のように、歩道沿いは杉並木などに整備されますが、森には雑木林(広葉樹)が広がるので、ガキにはたまらない遊び場かと(カブトムシはいるかなぁ?)。
 森の中の施設は、下のバーベキュー場(日向には誰もいないが日陰はにぎやか)、フィールドアスレチック、グラウンド程度に限られ、森の奥から子どもたちの声が聞こえる様は、ファンタジーの世界に入り込んだようにも。
 隣接する畑の中を通る道も組み込まれ、農家の野菜直販所に立ち寄れることも、都市近郊ライフならではの魅力かと。





 第一印象の、国営昭和記念公園(立川市・昭島市)のように子どもがのびのび遊べる施設から、次第にこどもの国(横浜市・町田市)や、旧ユネスコ村(所沢市 古くてスミマセン)などから、いいとこ取りをした施設に見えてきます。
 広場以外の緑地はテント可のようで、色とりどりのテントが並ぶ様は今風の光景ですし、そんな準備をしてくれば一日遊べそうです。親に「そこで寝てれば〜」(テント内は暑そうでも熟睡中)と、親の居場所が分かれば子どもは思いっきり遊べますから、家族で過ごせそう。
 ですが、アンデルセン童話(リンク先は知っているものばかり)の世界に触れられる施設周辺は、人がまばらだったりします。



 1987年ワンパク王国として開園し、1989年船橋市がアンデルセン出身地のデンマーク オーデンセ市と姉妹都市になり、1996年現在の姿にリニューアルします。
 デンマークらしさを感じたのは下の湖畔で、浮桟橋への橋やボートハウスの屋根に草を植える(?)様からは、同じ木材を活用する暮らしでも、環境により生活文化が異なる様子がうかがえますし、穏やかさが優雅に見えたりします。

 雨・台風が多いこの国では、耐久性のある瓦屋根が主流のため、熊本地震では多くの倒壊家屋を目にしますが、トタン屋根が多い北海道胆振東部地震では少なかったようです。これまで災害対策として主に気候に留意していましたが、震災も視野に入れる必要がありそうです。


 県民の森にもあったように、フィールドアスレチック施設は子どもたちが集まる公園の定番となりました。
 遊具が少なかったガキ時分には、与えられたモノでどれだけスリリングに遊べるかを工夫しましたが(危ないことに挑もうとした)、現在当たり前にある遊具には危険そうなものが多い気がします(これって過保護?)。
 右の男の子は、なかなか丸太の橋まで登れないため母親に厳しい口調で叱咤され、さらにビビってしまいます。なかなか通れずイライラした左のお姉ちゃんたちが、「こんなの簡単よ!」と追い抜いていく様が気に入らない母親の口調は、さらに厳しいものに。
 スパルタ教育(?)は親の指導法ですから、子どもは従おうとしますが時期尚早な場合もありそうと……


追記──ジャンプして探査するという発想

 小惑星探査機 はやぶさ2から、小惑星 リュウグウに投下された探査ロボットが、地表をジャンプしながら移動・写真撮影をするとは驚きました。送られてきた岩だらけの写真から、地表を車輪で移動することの困難さが理解でき、ジャンプ移動を選択した正当性の裏づけになるところがすごいと。
 まだ始まったばかりで、これからどんな驚きを届けてくれるのだろう……

2018年9月17日月曜日

不便でも危険性は低い──北習志野

2018.8.25【千葉県】──東葉高速線を歩く_3

 付近では北習志野を「きたなら」と呼ぶようで、「北奈良」の表記が思い浮かぶもそんな地名はないらしい。間違っても「きたならし〜の」はNGです!(ゴメンナサイ)




 新京成線にカーブが多いのは、元鉄道連隊演習線として作られた際に、連隊ごとに課せられた線路敷設距離のノルマ達成のため「カーブで距離を稼いだ」、「カーブする線路敷設訓練のため」などとされます(連隊の作業場は現在の千葉公園にあった)。松戸~津田沼間に完成した曲がりくねった線路は、戦後に京成電鉄へ払い下げられます。そのため、複線化が困難な京成津田沼〜新津田沼間の一部は単線のまま(上は同区間の複線部分)。
 柴又を通る京成金町線でも見かけるドア脇の鏡は、身だしなみチェックのために設置されますが、近頃では化粧する女性の姿も日常の光景になっているらしい。




 1873年(明治6年)に行われた陸軍大演習の際、明治天皇の言葉から習志野の地名が生まれたとされます。ですが、現在の陸上自衛隊駐屯地は習志野市に属しません。
 ゆかりのある人物も、西郷隆盛、秋山好古(日露戦争で世界最強とされたコサック騎兵を退け日本騎兵の父とされた、司馬遼太郎『坂の上の雲』主人公)、西 竹一(バロン西:1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト、軍人)など、軍関係者なのは当然とも。
 上の空挺館は、以前旧騎兵連隊の御馬見所(ごばけんじょ)とされ、天皇・皇族が観覧した迎賓館。

 隣接の航空自衛隊分屯基地に地対空ミサイル部隊が駐屯するため、迎撃ミサイルシステムPAC-3が配備されます。
 右はパラシュート訓練用の降下訓練塔で、アトラクションではない。




 旧薬園台の地名由来は、江戸時代に開設の小石川御薬園を8代将軍 吉宗が拡張する際に新設された薬草園にちなみます。以前小石川植物園訪問の際に関連施設の存在を知り、「そんな遠くまで行けない」と思ったが、名残も現存しないようです。
 1973年住居表示は薬園台→薬円台に変更されますが、現在も一部に残される薬園台町付近に薬草園があったのかも知れません(京成線の駅名は薬園台)。


 猛暑日に大にぎわいの子供プール(無料)は、子どもでも水が膝下程度なので「徒渉池:としょういけ(歩いて渡れる)」と呼ぶそう。
 木々が多い公園なので、少年野球の様子を「あれじゃ空振りだろ」と日陰からのんびり眺められますが、風が強いためグラウンド周辺は土ぼこりに襲われます。
 とはいえ日差しが強いので、日陰からなかなか出られないようにも……




 なだらかな起伏が続く一帯に広がっていた江戸時代の幕府直轄牧場は、明治時代に陸軍の演習場とされます。旧軍用地でも開かれた土地(遺産)は利用しやすかったようで(不発弾処理等は必要)、北習志野駅前には下のような共同住宅が立ち並びます。
 海岸を埋め立てた平坦地に比べ、丘陵地に多少の不便さを感じても、北海道胆振東部地震のような液状化被害の危険性は低いと胸をなで下ろしたのではないか(造成方法により危険度は変わる)。川の氾濫や液状化の危険性が低い丘陵地は、これから注目されるかも知れません。



追悼──樹木希林さん

 どんな現れ方をしても、観客の関心を引きつけるのが役者、を体現した方のように。
 老け役を経て、本物のおばあさんを感じた『万引き家族』に至るまで、「わたしだって女よ」と演じる姿から、自分の母親に「母になる前から女だった」様を重ねられるようになったのも、女のたくましさを見せつけてくれたおかげと。
 これからも映画にひょっこり「あらいやだ、出番間違えたかしら……」と現れるんじゃないかと思いながら……
 ありがとうございました。


追記──地下鉄合併の風穴となるか?

 久しぶりに地下鉄 九段下駅を利用すると、都営新宿線と東京メトロ半蔵門線のホームを隔てる壁が消えていました(2013年)。以前から壁越しに隣ホームの音が聞こえていたので、これがあるべき姿に見えます。1980年新宿線、1989年半蔵門線が開業しますが、両ホーム間に柱も無い様子から、当初から共同溝として建設されたように。
 壁が撤去されたのは新宿線は新宿方面と、半蔵門線は押上方面のホームなので、乗り換えの恩恵を受ける利用者は少なくても、これが都営と東京メトロの合併へのきっかけになってくれればと。でも、料金が都営側に統一されたら「それは違うだろう!」と……

2018年9月10日月曜日

先人の知恵に学ぶべき──飯山満(はさま)

2018.8.18【千葉県】──東葉高速線を歩く_2

 読めなかった飯山満の地名には、音読みを並べる古さを感じましたが、谷あいの地域=狭間(はざま)が転じた説はわかりやすい土地柄です。




 飯山満駅近くの道路整備で削られた斜面で、久しぶりに関東ローム層(関東平野の高台に堆積する火山灰層)を目にし足を止めました(上)。
 東京近郊に暮らしながらも、関東ローム層が堆積する丘陵地で生活していないことに気付かされ(田町や西葛西は旧海岸線付近)、高度成長期の海岸線拡張を目指す宅地開発に乗ってしまったためと……
 それは、関東大震災で低地が壊滅的な被害を受け、高台の丘陵地を目指した先人の経験を無視した、理に反する無謀な選択かも知れません。




 元は江戸時代の名主総代 近藤四郎左衛門屋敷の長屋門として明治中期に建てられたもので、東葉高等学校(旧 船橋学園女子高校)が近藤家の屋敷跡(昭和初期に没落)へ移転の際に修復し、正門(東葉門)とします(国登録有形文化財)。
 阪東妻三郎映画の舞台とされたそうで、ここでの大立ち回りは絵になったことと。

 この谷筋の湧水は細いながらも健在で、河畔に集まる立派な家々のたたずまいから、豊かな地だった様子がうかがえます。以前は、洪水が多発する東葉高速線が通る広い谷間を田んぼに利用し、集落は脇の細い谷筋で寄り添っていたようです。




 この地域でもっとも古い神社とされ、祭られる建御名方神(タケミナカタノカミ:開拓の神)が大国主命(オオクニヌシノミコト)の子に当たることから、王子(オウジ)の名称とされたそう。
 関東ローム層(富士山等の火山灰堆積物)の上に富士塚(右)が築かれるなど、地域の暮らしは富士山を支えに営まれたようで、富士信仰(富士講)も自然発生的に根付いたように思えます。
 付近でもっとも高い場所に見えたことから、下記の旧飯山満城の祈祷所的な施設だったのではないかと。




 以前、王子神社や光明寺を含む一帯に旧飯山満城があったとされます。
 付近に向かう道の傾斜はなだらかでしたが、飯山満川(駅の脇を流れる)側は流れに浸食された急斜面があるため、城の建設は川側の地形を生かす天然の要害を目指したように(現在は住宅地とされ名残は見当たらない)。
 飯山満川沿いに点在する洪水防止用の調整池は以前湿地だったとすると、こちらの守りは十分だったように。




 狭く急峻な谷を見た瞬間、雨水が集中する危険地域と感じたように、飯山満駅周辺にいくつもの水害防止調整池や排水機場を整備するも、被害は軽減されないようです。おそらく自治体は抜本的な改善策の試算をするも、とても支出できないとの及び腰ではないかと。
 右(隣の北習志野駅付近)のように急峻な谷には、雨水だけでなく関東ローム層上に蓄えられた地下水も流れ込むため、大雨時には想像以上の流入量となりそう。そんな谷間に介護老人施設(上の白い建物)を作るなど、根本的な発想から間違っているように見えます。
 古くからの集落が脇の細い谷筋に寄り添って並ぶのは、以前から洪水に悩まされた地域の知恵と読み取れます。その土地で生まれた生活の知恵を無視するのであれば、また一から積み上げていく覚悟が必要になります。


追記──自然災害の被害軽減を目指したい

 台風+地震の連打を食らうと、ちょっとダメージが大きい。
 一時ながらも、2017年利用者数3位の関西空港と5位の新千歳空港が同時にダウンする事態には、ショックを受けました。
 双方の被害状況から、生活が電気に縛られていると思い知らされますが、発電所の被害は避けられず、なぎ倒された電柱の代替に地下送電が可能でも、浸水の恐れがあります。
 実現に時間はかかるかも知れないが、無線による電力供給を目指せないものかと。


追記──大谷翔平選手 新たなケガ発覚

 復活と思った矢先なので安静にと思うも、今シーズンは打者として出場するとのこと。周囲の様々な見解を耳にしても、自分で選べる選択肢を検証して決めるのだそう。
 二刀流(two-way)だから可能という表現ではなく、彼にしかできないことを実現させるベストな道を模索している、と受け止めるべきと。
 もうわれわれには、選択肢を広げられる可能性は少ないかも知れないが、道を選択する際には、冷静に判断できるよう心がけねばと。


追記──江戸川区自慢

 西葛西に移転して1年になるも、地域自慢のネタを見つけられないでいましたが(生活しやすい庶民の町 程度)、区の広報誌Topに「区内アスリートがアジアで世界で大活躍!」と、競泳の池江 璃花子 選手の写真が掲載されており、これは自慢できる! と。
 「同じ人間だから世界記録にいけないわけがない」と語る彼女にとって、東京五輪は大きな目標と思うが、その後も挑み続けるのではないかとも……

2018年9月3日月曜日

夏の田園風景──東海神

2018.8.14【千葉県】──東葉高速線を歩く_1

 今回から、地下鉄東西線と相互直通運転をする東葉高速線(西船橋〜東葉勝田台駅)沿線を歩きます。




 東葉高速線は1996年開業の第三セクター鉄道(主要株主:千葉県、船橋市、八千代市等)で、付近は住宅が立ち並ぶ地下を通るため、住宅のとなりに場違いのような駅の入口が作られます(上)。以前からの区割りに住宅が建ち並ぶ場所では駅前を整備する余地もないため、路地に降り立ってもこの道は抜けられるのか? と、初めての利用者は困惑してしまいます。




 以前池があった地を整備した公園(丘陵地が浸食された低地に湧水が多い地域)。
 日差しが強烈なため木陰でシャッターチャンスを待ちますが、水と戯れる様子を眺めるうちに、水遊びって炎天下で夢中に遊んだから全身が真っ赤に日焼けしたのかと、いまさらながら子どもに教えられます。
 木陰から見守る母親の口うるさい注意は本人が自覚できるまで必要ですが、それって結局痛い目に遭うまで自覚できなかったと……




 海老川(地名由来の船橋橋が架かる)には、川の両岸にある船橋市市場を結ぶ橋が架かります。門はないので一般市民も出入り可能で、市場に関係無い買い物帰りの家族が駐車場を利用している様子から、開かれた市場(?)の印象を受けます。
 そんななれ合いの関係は、偶数月の第1土曜日に開催されるふなばし楽市の副産物かと。楽市は市場を一般に開放し、魚や野菜、珍しい食材、調理器具の販売を行うもので、市民との交流にふさわしい催しと。




 猛暑でも海老川沿いのジョギングロードにランナーが多いのは、桜並木の木陰を流れる心地よい風のためかと。有森裕子さんも走った! が自慢のようです。
 川幅と桜並木の大きさ(樹齢)がちょうどいいバランスなので、「ここはよさそう!」と想像した満開の光景を、春に確かめに来なければと。
 畑が点在する郊外の空気を味わいながら河畔を手軽に散歩できるところが、近郊都市の魅力であると再認識するロケーションです。
 上は土地改良事業の記念碑付近にある石像。



 以前付近の海老川流域に広がっていた低地は、縄文時代等の海水面が高い時代には海の入江に続く湿地帯で、戦後の食糧難の時代までは一面に水田が広がりましたが、コメの生産調整の波を受け1960年代までに耕地整理〜土地改良が行われます。
 市街地に近い地区は住宅地とされますが、郊外地区では道路整備等は進むも農地に活気が感じられず、荒地が広がるような印象(上も農家の耕地ではなさそう)。


 そんな地を東葉高速線が通りますが付近に駅はないため、周辺住民の利便性は変らないように見えます。ですが、東海神駅〜飯山満(はさま)駅間は距離があるため、中間地に新駅構想があるとすればそれまでは寝かせておこうとの意図にも感じられます(広大なショッピングモールも建設可能な広さ)。
 整備された道路沿いに、お決まりのパチンコ店、カーショップ、コンビニや山田うどん(久しぶり!)が並ぶ様子は、開発を見据えて派遣された先遣隊が探りを入れるような状況にも見えます。


 土地改良が行われた上流部にだけ水田が残されるのは、適した場所が限られたことと、カメラ背後の飯山満駅から押し寄せる宅地開発の挟み撃ち状況のためかと。
 宅地開発のセオリーでは、まず人を集めるため駅周辺を整え、人口の増加を見計らいインフラ整備・宅地開発地域を広げますから、次のターゲットはこの水田あたりかと……

 船橋の市街地に近い場所ながら、アレアレ? っと田園風景に入り込む様が、近郊都市暮らしだから楽しめる解放感のように。
 猛暑日に開けた土地を歩くのは危なそうですが、気持ちよく汗を流せました。

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...