2021年3月29日月曜日

花曇りの彼岸──法華経寺

2021.3.20【千葉県】

 都心の桜の開花情報を耳にするも、足を運ぶ気になれず千葉を歩きますが、こちらも安心できる状況ではないんですよね……


 日差しは弱くても暖かさのある、花曇り(春の季語で、桜の花が咲く時期の明るい曇り空 )のお彼岸ですが、思ったより人出が少ないのは、お年寄りとの外出を控える方が多いためかと。

 普段の彼岸は、桜には少し早い時季ですが、今年の開花はかなり早いため、ちらほらと咲き始める様子が楽しめます。この地や自宅周辺もまだ咲き始めのように、都心(靖国神社の標本木)との気温差を実感できる季節感と言えそうです。
 都県境周辺の気象情報は日頃からアバウトなので、「両側の中間程度?」と受け止めますが、どっちに転んでも裏切られた印象を持ってしまいます。

 法華経寺は日蓮(日蓮宗)の弟子が創立した、山内寺院や塔頭(たっちゅう)が並ぶ信仰の場で、毎年全国の僧侶が大荒行のために集まる修練場でもあります(1枚目は別の荒行堂)。
 付近には以前から鬼子母神があり、日蓮が鬼子母神に救われた逸話から、この地に法華経寺が建立されたようです。雑司ヶ谷鬼子母神「法明寺」入谷鬼子母神「真源寺」と、ここ中山が江戸の三大鬼子母神とされます。

 法華経は飛鳥時代に伝来し、聖徳太子が推古天皇に講義して以来日本仏教の源流とされます。現在の主な宗派がその教えを尊重するように、日本人に適した経典のようです。



 千葉街道から始まる参道(JR下総中山駅前から?)は、ゆるやかな坂を登り、京成中山駅付近の黒門をくぐり(親しみを感じる門前町が健在)、丘陵の頂付近にある仁王門(赤門)から、境内へとなだらかに下ります(平地と丘陵の境界付近に立地)。
 山号の正中山が中山(といえば競馬場?)の地名由来。

 家族連れを多く見かけるのは、外出を自粛するため「家族で墓参りに行こう」との動機かもしれません(彼岸の墓参りは大切な要件です)。これを機に家族単位で行動する機会が増えればと、前向きに受け止めるべきかもしれません。

 花の季節に人出が増えるのは、日本人のお約束ですから、リバウンドや非常事態宣言解除のタイミングと重なるこの春は、昨年以上に警戒した方がよさそうです……


学習できない国民を巻き込む、聖火リレーのパフォーマンス

 地方都市でのリバウンドや、病床の逼迫(ひっぱく)度が高まる中での聖火リレー実施は、学習できない政府・官僚たちが、同様に学習できない国民を巻き込み、責任の所在をうやむやにしようとするパフォーマンスに思えてなりません。聖火リレー沿道に密集が見られても、対策は呼びかけだけで、中断せずに進められるそう。
 マスコミも「桜が見頃です」の翌日には「桜の名所に人出増加」など、別の意味で信頼できないにもかかわらず、学習できない人々は「だいじょうぶだよ」との勝手な解釈で、密集に足を運びます。政治家やマスコミと同様「リバウンドが心配です…」と口にしながら、平然と出歩く国民は、五輪中止の際に「国民の理解が得られなかった」の言い訳に利用されるのではないか?
 現在の状況が続けば五輪どころでない、との考えから国民は出歩くのだろうか?

2021年3月22日月曜日

人が生んだ干潟──江戸川放水路

2021.2.20【千葉県】

 江戸川放水路(江戸川の本流とされる:長さ2.8km)は、都市部の上水確保と洪水防止の目的で建設されましたが、行徳可動堰の下流側は干潟の生き物たちの楽園となっているそうです。


 右は、江戸川放水路との分岐付近にある、旧江戸川に面した船溜りで(以前の江戸川河道らしい)、少し前に整備計画を目にしたと思うが、前回訪問時と変わらない様子です。海へ出るには、旧江戸川をディズニーランド付近まで下る必要があるため(結構遠い)、下記の放水路に引っ越したらしい。
 江戸川放水路開削時(1919年)に、旧江戸川の流路が移動したため、江戸川区(境界を維持すべき)vs 市川市(境界を引き直すべき)の意見がまとまらず、現在も河原番外地とされる地域があるそう。以前もふれましたが、河原という地名は何とかすべきで、「市川市の河原に住んでる」と、言いたい人はいないのでは……(歴史ある河原なのか?)

 右は江戸川水閘門(すいこうもん)で、江戸川(左側)と旧江戸川(右側)を仕切る水門(上水に利用する上流側への塩水の遡上防止と、下流側の旧江戸川の水位確保:奥)と、 船が通るための閘門(こうもん:手前)が併設されます。歴史を感じる建造物は戦時中に作られたもので(1943年)、当時から東京の上水確保に苦労していた様子がうかがえます。

 放水路の少し下流側に作られた旧行徳堰は固定式で、流域の洪水を防げなかったため、57年に可動式とされました(下)。洪水の際は上流(左)からの雨水を流し、海面上昇時は下流(右)からの塩水を受け止める構造は理にかなっており、活躍する姿を見てみたいが、その際はここに立ち入れません。


 右側の旧行徳橋(現在撤去中:1956年)の歩道は1.2m幅しかなく、すれ違う際は体を避け合い、自転車が来ると立ち止まるような不便な橋でした。
 左側の(新)行徳橋(2020年)は車道・歩道ともに広い橋となり、往来を気にせずに歩けるようになりました(開放感がまるで違う!)。
 橋は可動堰の管理にも利用されるため、内部をのぞけることも一興です(下)。


 普段は、可動堰下流の江戸川河口域には流れがなく、干潟の入江のような環境がハゼの棲息に適しているため、ハゼ釣りのスポットとして知られるそう。右の桟橋やボートからも可能だそう(有料)。
 ガキ時分のハゼ釣りの記憶(横浜 金沢八景←八景島付近?)では、「バカでも釣れる」とされたように、糸を垂らせばすぐ釣れる印象がありましたが、もうあんな楽しさは味わえないことでしょう。潮干狩り(幕張)とともに、東京湾の恵みを体感したことは忘れられない経験で、子ども心に強烈な印象として刻まれますから、「江戸川のハゼ釣り」が思い出となるよう、残してあげたいと……


球春に感じる明るさ

 甲子園に、はつらつとした高校球児の姿が戻って来ました! その躍動を目にすると、「もうすぐ春ですねぇ。ちょっと、動き出しませんか?」と、尻を叩かれるような思いがします。
 開催は春休みの時期に合わせたのでしょうが、イベントを季節感として受け止める(結びつけて感じる)習慣が身についているため、季節の指標になっていることを実感します。今後は中止されることなく、続けられるよう願いたいと。


リバウンド兆候が見える中の緊急事態宣言解除

 首都圏(4都県)の緊急事態宣言解除は、昨年の宣言時と同様に、東京五輪を意識したものと受け止める人が多いのではないか。国としては、何がなんでも「決行」の意思を示し、中止の判断をIOCに委ねる必要がある(責任の所在で費用負担が変わる)、との決意に感じられます。海外観客の受け入れ断念は、中止決定の際に日本側にも負担を求めるIOCの意向とも感じます。
 宣言解除で平時に戻るわけではなく、国民生活に大きく影響を及ぼす問題なので、無関心ではいられませんし、この一年で「50年に一度の五輪より、明日の我が身」と考える人は増えたのではないかと。水面下で画策された動きに見えるので、中止の発表をするなら早くすべきと……

2021年3月15日月曜日

歴史を受け継ぐ──妙典

2021.2.13【千葉県】

 妙典駅は地下鉄東西線のもっとも新しい駅で(2000年)、区画整理された駅南側には大規模商業施設(映画館もある)等の建物が並びますが、商圏の広さはどれほどなのだろうか……


 現在公園とされる常夜灯(右)は、江戸時代に整備された水路(小名木川・新川)を利用し成田詣でに通う、日本橋の成田講中(信仰者の集まり)の人々が航路安全を祈願し建てたとされます(箱崎ターミナル付近に行徳河岸(船着場)があったそう)。新河岸とされた周辺の、船で往来する人や物資でにぎわう様子が、江戸名所図会にも描かれました。

 旧江戸川対岸(江戸川区)には対照的と思える、マリーナと造船工場があるように(下)、川を挟んで文化の発展期が異なるため、町の様子も大きく異なります。

 現在の妙典駅周辺は、以前行徳町とされた地域で、本塩(行徳塩発祥の地)、塩焼(埋立地の新しい町名)等の名が残るように、塩業の中心地だったようです。江戸時代「行徳千軒寺百軒」(1000戸の集落に寺社が100ある)とされた様子は、寺社が並ぶ地域に残る寺町通りの名称にうかがえます。



 妙典(法華経の別の略称)の地名は、中山(競馬場付近)にある法華経寺の系譜を持つ、日蓮宗に守られた経緯によりますが、往来が多い成田街道(成田山新勝寺は真言宗)や、塩田労働者が多い地域のためか、長松寺(臨済宗:上)や、徳願寺(浄土宗:右・下)のように、多様な宗派の人々を受け入れる、包容力を持ち合わせていました。
 周辺の発展は徳川家とのつながりによるもので、家康が鷹狩りの際に通った道(権現道)を大切にする姿勢が受け継がれ、繁栄期の遺産が残されるようです。
 ですが、江戸川(放水路)沿いの海側に整備された工場用地には、違法残土が積み上げられた「行徳富士」があり、東西線車窓から見えたりします……

輸入されるワクチンと変異株ウイルス

 政府は航空会社に、1週間の入国便搭乗者数の制限を要請しますが(状況次第で変動)、入国者を隔離せず、「14日間の公共交通機関不使用、自宅又は宿泊施設での待機」を要請するだけとのこと。緊急事態宣言としながらも、ザルの水際対策で変異株ウイルスを輸入したのでは、効果はありませんし国民は疲弊するばかりです。
 尾身先生の「早晩、変異株が主流になると考えておいたほうがいい」は、水際対策への批判と受け止めるべきですが、それを耳にしても理解できない政治家や官僚は、国民の生命・財産を守る義務を果たしているのだろうか?
 見かねた尾身先生は月曜日に、「見えない感染源があるのではないか」との、突っ込んだ発言に至ります。できることをやり切らなければ、いつまでも先手を打つことはできません……

2021年3月8日月曜日

海辺の残像──行徳_2

2021.2.11【千葉県】

 今回は、江戸期の繁栄をもたらす塩田が広がっていた、行徳駅の海側を歩きます。地下鉄東西線開業(1969年)当時の周辺には水田が広がっていたため、駅に靴の洗い場があったとか……


 駅から海へ向かうまっすぐで少し下る道には(リンク先は当時の様子がよくわかる)、茅ヶ崎のような海辺の町の空気を感じます(茅ヶ崎には砂丘の起伏がある)。一帯は塩田から転換した水田やレンコン畑(湿地)を埋め立て区画整理したので、港などの構造物は無いはずですが、行徳に2箇所、南行徳に1箇所キレイな弧を描く道路があります。行徳は交通公園と小学校(上)、南行徳は小中学校に面しているので、区画整理でしゃれっ気を演出したかったのではないかと。
 交通公園の隣にあるイスラム教のモスク(行徳ヒラー・マスジド:スンニ派)には、男女別々の入口があり、1階女性用、2階男性用礼拝所とされるそうです。


 福栄スポーツ広場・いこいの広場は、千葉県江戸川第二終末処理場(下水処理場)の上部に整備され、広場・公園・グラウンド(休止中) 等があります。
 上は野球場のバックネット裏に咲く梅で、一般的にはボールが見えにくい 等の理由から、ネット裏に花が咲く樹木は見かけないため気になったもの。その足元にある花壇はキレイに手入れされているので、園芸係の目線で「木が欲しい」と植えたのではないかと。
 公園には池(整備中)や盛り土の起伏もあり、高い木々も育ちますから(右)、駈けまわる子どもを見守る親もまったりできそうです。

 右は、宮内庁の施設とされる新浜(しんはま)鴨場の運河に放置されるポンプ(?)。皇族方が賓客接遇として、伝統的なカモ猟を紹介する施設で、地元の方のみ抽選で見学会に参加できるらしい。閣僚、国会議員 等も招かれるらしいが、近ごろはあんな連中を接待する必要はない、と思う人も多いのではないか。
 天皇が皇后にプロポーズした場所とされるように、鴨場には身を隠す場所が必要で外部からのぞけませんから、絶好の場所だったようです(ゆえに写真はありません)。
 隣接地にある行徳湿地(鳥獣保護区)も、野鳥保護のため立入が制限されています(普段歩ける場所も現在休止中なので、関連写真はナシです)。
 右は鴨場近くの畑で、素人目に大根たちは「抜いてくれ〜」の主張に見えますが、まだ早いの?(ところどころ収穫済みなので、見捨てられた訳ではないと)。
 周囲は宅地に囲まれますが、鴨場のあるおかげで耕地も存続できる面もありそうと。前回イチゴ狩りの案内を目にした記憶があります。

 以前、田んぼの中にまっすぐ伸びていたのは鴨場に向かう道で、そんな光景に遭遇したら「この先には何が?」と、きっと足を運んだことと。誰もいないと思う場所でも、釣り人はいたりしますが、さすがに遠浅の湿地にはいなかったのでは……


首都圏(4都県)の緊急事態宣言延長

 これまでと同じ対策だけで、新規感染者減少につながるか疑問ですが、医療提供体制のひっ迫度はある程度改善されると思うので、現状維持で耐えることが、最善の道ではないかとも。飲み屋には酷でも、時短営業継続に安堵する人が多いのは、酒が入ると話し声が大きくなるとの指摘に、身に覚えがあるからではないか。
 ですが2週間後には桜が開花しそうですから、社会全体の新たな制御が必要になりそうです。


東日本大震災から10年

 一般的な事柄に対しては「もう10年」と感じることが多いが、本件については「まだ10年しか経ってない?」との印象を受けます。
 当初から10年はかかると思われた復興ですが、被害が広範囲だったこともあり、まだ基礎工事が済んだ程度ではないかと。国民の関心は離れていませんが、世間には10年を区切りと見る向きもあり、幕引き・フェードアウトへの動きに対しては、抗議の意思を示す必要がありそうです。自分なら、インフラを整備してくれれば、あとは自分たちでやるから「金だけ貸してくれ」と言いたくなりそうですが、原発による被害を受けた地域は、お金で解決できる問題ではありません……

2021年3月1日月曜日

江戸神輿を支える──行徳

2021.2.6【千葉県】

 江戸時代には水運や成田街道(成田山参道)によりにぎわいましたが、鉄道に成田詣で客を奪われ(付近に総武線を通す計画に反対したそう)、江戸川放水路(現在本流)の建設で地区が分断され、荒川開削で東京との水路が断たれ、にぎわいは失われます。



 家康は「塩は軍用第一の品、領内一番の宝である」と、塩田の広がる行徳一帯を幕府天領とし、塩を運ぶ水路(小名木川、新川)や成田街道が整備され、人や物資が行き交う街道筋はにぎわいました。その繁栄ぶりは「行徳千軒寺百軒」(1000戸の集落に寺社が100ある)とされ、寺社建立に腕を振るった宮大工による行徳神輿は、浅草・神田・深川 等の祭りで使われるようになります。
 上は、神輿屋御三家とされた旧浅子神輿店(2007年廃業 国登録有形文化財:現 市川市行徳ふれあい伝承館は休館中)で、日本一とされる門前仲町の富岡八幡宮一の宮神輿が作られました。
 下は、付近の材木倉庫。


 神輿屋御三家で唯一続く中台製作所(リンク先のはっぴで並ぶ姿はカッコイイ!)は、下の行徳神輿ミュージアム(休館中)を運営しています。神輿や山車を製作する現場には活気がありそうですが、職人への道は厳しいのでしょう。神輿ができるまでの、気が遠くなるような繊細で地道な作業の、知恵や工夫をのぞいて見たいと……(大きな社屋・工場の上には、誇るような飾りがあります)


 右は本行徳神明社で、カメラ背後は行徳街道に面しており、街道沿いは神社同様に、町屋のような短冊形の奥に長い区割りとされ、周囲にも名残が見られます。うなぎの寝床と表現しますが、そんな区画を輪切りにした広さの家なら「手が届きそう」、と感じてしまう時代です。

 行徳に複数ある神明(豊受)神社は、旧江戸川の対岸から遷座し、江戸時代の行徳分割の際に分祠されたもので、ルーツは同じ伊勢神宮のため、5地区の鎮守として五ヶ町祭が行なわれます。
 神輿の町だけに、祭りで担がれる神輿は立派です!(リンク先Youtube)



 上は明治期の塩問屋で、国登録有形文化財とされる加藤家住宅の煉瓦塀。行徳の塩は上質で評判は高かったものの、生産量が低いため専売化の際に廃止され、塩田は昭和初期に埋め立てられました。
 にぎわいを失ってからも、生活を支えてくれる豊かな海のおかげで、文化遺産が残されてきましたが、徐々に以前の情景は失われつつあります。


こんな状況でも、二八(にっぱち)?

 2月・8月は売上げが下がると耳にしますが、今年は町の空気に景気の悪さがにじみます。
 店舗の閉鎖・閉店が目につき(最寄駅の周辺に限れば、改装がすぐ始まる動きも見られるが)、スーパーの混雑が減り(常に強気だったイオンも守りに入った印象)、ホテルもサービス方針の転換や休館ですから(ディズニーランド・外国人旅行客の不振→春節の旅行客不在に胸をなでおろした、は本音)、お金が回らず景気が低迷するのは当然かと。
 唯一の希望とされるワクチン供給は遅れそう、新たなワクチンの承認 等々の不確定要素では、景気の先行きを見通せるわけもないので(Go to 〜 は政権のまやかし)、早めに「今年いっぱい続く」との覚悟に切り替え、逆風から推進力を生み出せそうな道を探るべきと……


都営施設閉鎖というアピール

 2月27日(土)から、都営公園の駐車場・運動施設が利用中止とされました。緊急事態宣言中も利用できた施設の突然の閉鎖は、完全に舐めきっている都民に対して、「新規感染者数の減少傾向が鈍るだけでなく、増加しつつある」とのアピールになったのではないか。飲み屋の時短営業だけでは減少しない現状を、出口が見え始め緩みそうな時期に、家族に向けて示したことは、家庭内での引き締め効果になりそうです。
 国に対しても、都は独自の対策をしているとのアピールにもなりますが、「国内感染拡大の元凶」とされる都民ですから、もう少し考えて行動しろよ! と言いたくなります。

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...