2018年11月26日月曜日

水源から砂浜まで──検見川(花見川)

2018.11.10【千葉県】──印旛放水路を歩く_4 検見川(花見川)

 印旛放水路がたどり着く東京湾には、千葉県自慢の人工海浜が広がります。都市部の生活環境は水源から砂浜まで管理下に置かれますが、そんな様子を印旛沼新川花見川〜検見川浜までの短い間で目にできました。


長作制水門


 ここは花見川最下流の堰で、この高低差は海から遡上する魚も越えられないようです(奥の汐留橋の名の通り上流は淡水域)。周辺でピチャピチャ水音がするのは魚たちが跳ねる音で、集まる釣り人を挑発するようにも。
 汽水域(淡水と海水が接する)付近に魚が集まる様子から、先日TVで目にした汽水域の潮目(上部が淡水・下部が海水)の映像を想起し、透明度が高ければ驚く数の魚を目にできるのだろうと。
 汐留橋を渡る道は畑を抜ける一本道となるように、宅地が広がる丘陵地とは違い、川沿いには穏やかな田園風景が広がります。右は花見川変電所で、一般的に変電所の立地は宅地から離れた場所を選定しますが、宅地側から迫ってきているように。




 ゴルフ場のように広大な土地で(実際にゴルフ場とされた時期がある)、食糧難時代には農場とされました。低地は沼や湿地だったようで、燃料不足の時代に草炭(ピート:湿地の植物堆積物を乾燥させ燃料にした)採掘の際、縄文時代の丸木舟や弥生時代後期のハスの実が発掘されます。その実を開花させた大賀博士からオオガハスと名づけられ、日本各地(千葉公園で目にした)や世界に根分けされ、現在も隣接の東京大学緑地植物実験所ではハスの研究が行われています(隣接道路も大賀ハス通りとされる地域の自慢)。

 1964年東京オリンピックの近代五種クロスカントリーコース、福島県のJヴィレッジ整備以前はサッカー日本代表の合宿地とされるなど(68年メキシコオリンピック サッカー日本代表(銅メダル)合宿地のゲンを担いだ?)様々なスポーツに利用される運動場で、この日はアメフトの練習をしています。




 ちょうど七五三の参拝が多く、本堂では多くの家族がお祓いを受けています。上写真の妹は千歳飴の袋を引きずっていますが、袋が縦長なのは早く大きくなぁれの意?
 お母さん自身にも七五三の記憶は残るのでしょう、子供たちの思い出に残る晴れの機会を作ることは、母親への感謝を子供たちに伝えるお母さんの晴れの場のようにも。お母さんのスッとした素敵な姿は、きっと娘たちに受け継がれることと。

 本神社は、平安時代に災厄消除のためスサノオ(ヤマタノオロチを退治した神)が祭られたことを起源とします。海を見渡せる丘陵地突端の立地から選ばれたように。
 付近で花見川を検見川(けみがわ)と呼ぶのは、旧表記の華見川に由来するらしい。



 隣接する日本初の人工海浜 いなげの浜、幕張海浜公園にある 幕張の浜と合わせ、千葉県自慢の人工海浜として日本一の長さ 4,320mを誇ります。
 砂を守るため防波堤を建設するも砂浜は浸食されるばかりで(主に江戸川からの土砂供給が減ったためらしい)、当初は力を入れていた千葉県も砂の供給を停止したため、自慢の砂浜は遊泳禁止とされますが(ウインドサーフィン等は盛ん)、浜辺やジョギング・サイクリングロードには人出が多く、近隣住民には欠かせない海浜公園のようです。
 付近にコアジサシの繁殖地があるらしく、下はそこで暮らす鳥たちなのか、近づいても逃げようとしません。
 右はオブジェではなくても、台座に乗ったブロンズ像よりも絵になると。




 沖合に白いセールが蝶のように群れる様子から、競技会が開かれていたようにも。ここは千葉市の施設で、付近の海は国体等でも利用される競技場で(東京湾最奥地のため波は穏やかで大型船等の航行が少ない)、ジュニアやヨット教室などが開催されます。
 ここは小型ヨット(ディンギー)がメインのようで、ボート置き場には大学ヨット部の所有艇が並んでいます。セーリング・ディンギーは風だけを動力とするヨットで、大学、高校、中学のヨット競技で使用されるそう。
 右は帰港時の様子で、2人乗りの狭い艇内でのロープさばきや移動の慌ただしさにはスポーツらしさが感じられ、ヨットの優雅なイメージとは違い、海に落ちることは織り込み済みで操船しているように。
 ディンギーという存在を初めて知ったのは、大滝詠一『君は天然色』の「渚を滑るディンギーで 手を振る君の小指から 流れ出す虹の幻で空を染めてくれ」からで、当時はあこがれ的な存在だった記憶があります。


追記── Ghosn With the Money(映画『風と共に去りぬ:Gone With the Wind』のもじり)は流行語に乗り遅れたか?(名前の表記はCarlos Ghosn)

 報酬の過少申告金額が80億円などと報じられるが、フォーブスの番付で今年ビル・ゲイツを抜いてトップとなったジェフ・ベゾス(アマゾン・ドット・コム)の資産額 1600億ドル(18兆円)と比較すると、小遣い銭のようにも感じられます(数字の比較はできても違いの大きさがイメージできません)。
 業績回復を託したのですから、リストラされた人々が彼を恨むことは違うと感じますが、彼にやりたい放題をさせた会社の経営構造はどん底時から改善されていないわけで、この先も多難のように……


追記──2025年大阪万博決定

 東京の五輪、大阪の万博の住み分けは、とてもしっくりくるような気がします。
 「1970年のこんにちは〜♪」では、時代背景からも国民が夢を抱けましたが、2025年にはどんな夢を見せてくれるのだろうか? 時代ごとに起爆剤となるイベントの必要性を感じるので応援したいと思いますが、オヤジにも希望を抱かせてくれる夢って、どんなものなんだろう……

2018年11月19日月曜日

人が開いた排水の路──花見川

2018.11.3【千葉県】──印旛放水路を歩く_3 花見川

 新川(印旛放水路)は、印旛沼側(利根川水系)と東京湾側の分水界とされる大和田機場から花見川と名称を変え、東京湾へと向かいます。



 以前も歩いた公園の南端には、傾斜地の高度差を利用したアスレチック遊具のコースが設置されています。
 右の男の子は、ゲーム効果音のように「ポヨン、ポヨ〜ン」と口ずさみながら跳ね降りてきますが、小さな女の子などは途中で足を止めてしまいます(左奥には歩道上に渡された橋がある)。
 ガキ時分の遊具というのは、鉄棒、ブランコ等が単体で設置されていましたがそれだけでは飽きるので、自分たちでコースを工夫して複合的な遊び方をした記憶があります。現在は変化に富んで楽しめそうな遊具が提供されるため、自分たちで工夫をしなくのではと心配になりますが子供はすぐに飽き流ので、そこから新しい遊び方を編み出すに決まってます。



 印旛沼から農業・工業・水道用水を安定取水するため、普段は酒直(さかなお)水門と酒直機場で利根川との取水・排水を行いますが、洪水時には利根川沿いの印旛水門を閉鎖し印旛機場から利根川に排水します。それでも印旛沼の水位が下がらない場合は、この大和田機場から花見川を通じて東京湾へ排水する体制が整備されています。
 ですが2013年の台風で、ここから花見川へ放水した際に下流の八千代市で浸水被害が発生しました。湖畔の取水・浄水施設(都市部の水源)を守ることが優先され、花見川流域は切り捨てられたとも受け止められます。ですが、自治体が地域住民の生活・財産保全に尽くそうとしても、この問題解決には予算と時間がかかりそうです。
 機場から排水の際は、右手前のようなスクリューで水を垂直に汲み上げるそう。




 川沿いを歩いてみると、本来の分水界は大和田機場より東京湾側だったように見えます(勝田川は機場南側から印旛沼に流れ込んでいた)。川沿い集落への影響、機場南側に谷地があった等の理由により、印旛沼側からの水路は機場以南に伸ばせなかったのではないか。
 開削区間でもっともインパクトがある弁天橋(心霊スポットとして有名らしい)付近にはかなり深い谷が刻まれ(1969年完成)、鳥の声しか届かない谷間に続くジャリ道には、千葉県で例えるなら房総半島方面のような雰囲気があります。ここは脇道のない長い一本道なので、通り抜ける場合はいいが戻るには同じ道を引き返すしかないため、それなりの心構えが必要な道です(適度な人通りがあります)。


 右(モノクロ)は、開削した法面の保護をしてないためか、竹林全体の地盤が崩れた様子(台風の雨も降ったし…)。両岸には、開削時の残土が積み上げられた山があるらしく、その斜面かも知れません。

 付近の流れはほとんど停滞しているように見えますが、道はわずかながらも下っているので、下流に流れを調整する堰がありそうと。
 機場周辺の地盤高は10m程度で水面はそれより数m低いため、東京湾までの流れにはほとんど傾斜はないように。ですが、東京湾からの逆流(高潮、大潮 等)対策のためには複数の堰が必要なので、流れが停滞してため池のようになるのは仕方ないことと。




 709年(飛鳥時代)行基(仏教を各地に布教したとされるスーパー僧侶で、奈良の大仏造立の責任者)が開いたとされる寺院で、仁王門の大わらじが評判となり、わらじを門に結ぶと足が丈夫になるとされます。上のミニわらじは子供用にしても小さいので、まだ見ぬ子供への祈りだろうか。
 境内にはいくつも社があり、それぞれ念入りにお参りして回る若い女性の姿には思いの強さが感じられるので、ジャマをしないように……



 上の天福寺に隣接する本公園の名称も、寺院の山号「花島山」(島:川に突き出した場所)に由来し、川へと続く谷地には渓流園、丘陵地には体育館、球技グラウンド、テニスコートなどがあります。
 右の男の子は、流れの堰に溜まった枯葉に潜んでいるザリガニ(?)等を狙っているようです。水を含んだ枯葉は重いため網が折れそうですが、目のつけどころはこれまでの経験によるものか?
 ここは人工の水辺ですが、水が湧き出す池の周辺にカメラの三脚が並んでいるのは、カワセミが見られるためではないかと。鳥の姿を求める人々が集い、語り合える機会が生まれたのですから、自然を模した公園整備の成果はあったように。


追記──前田健太(ロサンゼルス・ドジャース)の恩返し

 日米野球で広島を訪れた際、米大リーグ選抜(MLB)チーム監督らと原爆慰霊碑に献花をする姿を目にし、広島カープファンは彼を再評価したのではないか。
  2015年までカープに在籍した前田投手が、MLBメンバーとして広島球場のマウンドに立つだけでなく、被爆都市である広島市民の思いを野球を通じて発信したことは、彼をこころよく送り出した広島ファンや広島市民に対しての恩返しになったのではないか。
 来年は是非、ワールドシリーズ制覇をしてもらいたいと。

2018年11月12日月曜日

水辺で育まれた──印旛沼

2018.10.28【千葉県】──印旛放水路を歩く_2 印旛沼

 印旛沼には、以前仕事で訪れた際の明るくない記憶が残りますが、今回歩いたことでかなり明るいイメージに上方修正されました。




 戦国時代に城郭が築かれますが、城として整備されたのは江戸時代で、江戸東方を守る要として譜代大名が城主とされ、その多くが老中などの要職に就きました。幕末期の老中 堀田正睦(まさよし)は佐倉藩主で、日米修好通商条約調印を求めるタウンゼント・ハリスと交渉に当たったことから、城跡にハリスの銅像があります。
 上は現存する外堀(水堀)内側の土塁で、当時は付近まで広がっていた印旛沼を外堀としたそうで、城内にある右の馬出空堀もきれいに保存されています。崖のような堀も現存しており、埋め立てて整備するするのは大変なので保存されているようにも(失礼)……
 城址公園=桜の名所はお約束ながら、シートを広げるスペースもあり人気がありそうです。



 右中央の片膝で漕いでいるのは、カヌースプリント競技のカナディアンとされるスタイルで、シングルブレード(水掻きが片側だけ)のクラス。艇には舵がないためパドル操作で操舵します。
 リオ五輪カヌー競技で銅メダルを獲得した羽根田 卓也選手(カヌースラローム)のパドルが、シングルブレードだったことを意識して見てませんでした。
 スプリント競技は真っ直ぐ進むため、見学もシャッターチャンスもスタート時に限られ、コーチの「1km先のブイでUターン」を耳にし、この場を後にします。

 湖畔には、金メダルジョギングロード(尚子コース・裕子コース)が整備され、ランナーに加えてアベックのデートコースとしても人気がありそう(右下)。

 湖畔の人だかりは印旛沼流域 環境・体験フェア ~まるごと いんばぬま~のにぎわいで、流域の13市町等が参加するように、印旛沼の水は広い地域に恩恵をもたらしています。
 上の佐倉高等学校カヌー部は、催しのデモンストレーションらしいが、カヌー部も静かな湖面に誘われ発足したのではないかと。

 印旛沼は丘陵地の間に広がる沼地・湿地(太古の時代は海)でしたが、戦後の干拓により面積は半分以下となり、現在は北部調節池(北印旛沼)と西部調節池(西印旛沼)だけとなりますが、湖沼としては千葉県内最大の面積を持ちます。

 右のオランダ風車(1994年完成)は、リーフデ(友愛 De Liefde:オランダ船リーフデ号に由来)と命名されます。
 リーフデ号は日本に初めて訪れたオランダ船で、ヤン・ヨーステン(徳川家康に認められ、屋敷があった現在の八重洲の地名は彼の日本名「耶楊子:やようす」に由来)や、ウィリアム・アダムス(家康に外交顧問として仕え、日本名「三浦按針」の名は京急線 安針塚駅に残る)が乗船していました。
 佐倉とオランダの関係は、幕末期の佐倉藩で蘭学を積極的に取り入れ、「西の長崎、東の佐倉」と言われるほど蘭医学研究が盛んだったことによります。この地に開かれた私塾「佐倉順天堂」が順天堂大学のルーツであるため、千葉県で順天堂の施設をよく目にするのかと納得します。

 付近には印旛取水場(千葉市、船橋市、市原市方面の水道水用)と、JFEスチール印旛沼浄水場(千葉県との共同事業による、千葉市、市原市、袖ケ浦市方面の工業用水用)が並んでいます。千葉県の都市部周辺には水源となる水がめがないため、水質の良し悪しに関わらず印旛沼の水を活用するしかないようです。
 水質は恒常的に全国ワーストの部類に入るため、改善への取り組みが続けられますが、都市化による影響が大きいと認識していながらも流域の開発は盛んに続けられるため、一進一退が繰り返されます。

 付近にポプラの木が数本だけありますが、もっと増やすつもりが頓挫したのか? 並木が続いていたら素晴らしい絵になったことと。


 右は印旛沼の周囲に作られた水路で、社会人1年目の12月に水路の測量に来たことがあります(風が強い中で藪こぎばかりしていた記憶がある)。作業が長引いたため、山下達郎「クリスマス・イブ」(1983年発表当初で爆発的にヒットする前)を、付近で寂しく聴いた記憶が残ります。

 干拓以前は沼地や湿地が丘陵地近くまで広がったため、京成線は丘陵地に沿って線路が敷かれ、現在はその線路を京急線の赤い電車(リンク先はYouTube)が走ります(相互乗り入れによる)。千葉までの道のりは遠かったろうと思うも、千葉から見れば三浦半島は遥かな地であることと……

 前回訪問時の印象を払拭する見聞ができ、楽しめたので(天気も良かった)、足を運んで良かったと。
 巨人の終身名誉監督 長嶋茂雄さん(現・佐倉高等学校出身)を育んだ素地もこんな環境にあったのだろうと……

2018年11月5日月曜日

田園の秋──新川(印旛放水路)

2018.10.20【千葉県】──印旛放水路を歩く_1 新川

 これまで丘陵地帯を歩いたせいか水辺の開けた場所を歩きたくなり、広い河川敷を持つ新川(印旛放水路)沿いを散策します。




 上は、お犬様に限らず動物を供養する社で、馬の置物や熊のぬいぐるみ(って?)が祭られます。現在近郊で馬を飼う農家は見かけませんが、犬は身近な存在です。
 鴨鴛(鴛鴦)とはオシドリ(鴛=雄、鴦=雌)のことで、付近の阿蘇沼で射た雄の亡骸を追ってきた雌が寄り添って死んでいる姿を目にし、この寺を建てたと伝わるように、生類を大切にすべきとの教えが根付いています。
 右は新川に架かる展望台付き(?)人道用の吊り橋ですが、川岸の改修工事中のため通行止めとなっています。
 通行量の多い橋ならば融通をきかせると思うが、シャットアウトしてしまうのは、利用者の少なさを認めているようにも。自治体の都合(下の図書館整備事業の布石?)ではなく、利用者の都合に合わせた均等配置ができないものかと(付近に橋が集中している)。




 この名称は八千代市のネーミングライツ契約によるもので、TRC(図書館流通センター)が指定管理者として図書館運営業務を行っています。
 TRCは図書館向け書籍販売の独占を目論むようで(そこがうまみ)、資本の提供を受けた自治体が地方書店の弱体化に加担している、と問題視されるのも当然かと。
 市が自由にできる土地が少ないにしても、河川敷に建てた図書館が洪水で浸水したら多くの本が台無しとの危険性は認識しているんですよね?
 葦 (あし、よし)が茂る河川敷に白くモダンな建物を並べ、図書館らしくないほのぼのとした雰囲気を生み出したことは、チャレンジ成功に見えますが……
 並びに八千代市総合グラウンドがあります。


 右写真奥の丘陵地(川の東岸)に、阿蘇の名を残す小・中学校があるので、この付近に阿蘇沼があったのでは。阿蘇線という鉄塔を勝田台付近で目にしたように、1889年(明治22年)市町村制施行の際に印旛郡阿蘇村が誕生しますが、1954年八千代町への編入により消滅します。
 八千代の梨は阿蘇ナシとして出荷されるそうで(目にしたことあります?)、丘陵地には梨園(観光用もある)が広がります(帰りのバスで目にした)。
 元々丘陵地ではナシや畑作、川沿いの低地では稲作が行われましたが、現在低地にも梨畑が見られるのは、稲から転作した姿かも知れません。
 付近を走る東洋バスはPASMOが利用できず、田舎の線引きをされても仕方ありませんが、こちらは両替のやり方を忘れていたりします……


新川沿いの農地

 江戸時代の利根川東遷事業により、印旛沼に利根川の水が流れ込むようになり洪水が頻発したため、治水対策として東京湾へ排水しようと新川(印旛放水路)が開削されます(利根川水系)。
 通常は利根川方向に流れるが、大雨時など東京湾に排水する際には流れが逆になります。川のように見えても印旛沼の一部なんです。
 かつては水質ワースト1とされた沼で、汚名返上と官民で水質浄化に取り組みますが、再び低迷しているそう。
 コイやフナが釣れるようで、釣り人連中による自作のテラスや桟橋をよく見かけますが(しっかりしているように見える)、勝手な構造物でも放任されるのんびりした土地柄らしい。

 稲の収穫が終わった田んぼには、機械梱包された稲わらが並びます(表面はガッチガチ)。以前は乾燥させるため傘を重ねたように積み上げましたが、右の姿はこれから加工場に運び込まれる資源のように見えます(バイオマス燃料に稲わらが利用される例もあるそう)。
 水辺に近い低地は肥沃な土壌で絶好の稲作地に見えますが、雑草が生えている区画も目につきます。高齢化によるリタイアや後継者不足による事情は理解できても、政策等の理由から稲作を断念することは、米を育てられる恵まれた環境(資源)をムダにしているように。
 皆、日本の米が一番おいしいと思っていますから(今年の新米もおいしかった!)、応援する気持ちを持っているはずと……


色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...