2021年2月22日月曜日

川の存在感──旧江戸川

2021.2.6【千葉県・東京都】

 江戸川は少し上流側に建設された放水路が本流で、旧江戸川とされる付近には新中川(中川放水路)が合流するように、流路を分散して洪水を防ぐ腐心がうかがえます。



 上は新中川との合流付近の千葉県側にある石油化学工場で、隣接地にガス会社 等もあり工場地帯の生き残りと言えそうです。南側にある壁のように大きなマンションや、北側の広尾防災公園は、再開発された様子がうかがえます。石油を加工する工場なので、旧江戸川の小型タンカー用桟橋や、川沿いの道路を跨ぐパイプラインは必須の設備ですから、移転へのハードルは高そうです。


 合流地点手前の新中川に設置される今井水門(現在耐震補強工事中:1963年)は、高潮・津波を防ぐための防潮水門で、2010年チリ地震の際に閉鎖されました(岩手県で1.2mの津波を観測)。平坦な低地が広がる地域のため(地盤沈下の影響を含め)都内最大級の水門とされ、江戸川区・葛飾区・足立区の広い範囲を守る要とされます。水門が閉鎖された際は荒川沿いの中川へ排水されるように、高潮・津波・洪水を防ぐ防衛線とされる荒川ですから、ちゃっちゃと整備すべき(水門を作れないため高い堤防の整備が必須)と近隣住民は思うところです。


 上は旧江戸川に架かる今井橋から上流側の絵で、都県境付近になります(左:東京都江戸川区、右:千葉県市川市)。右下の船は川の中央付近に係留され、不便そうに見えますが、これは「ここまで千葉県!」の縄張りの主張ではないかと。左奥の東京側に係留されるクルーズ船が立てる波に対する、千葉県側のバリケードのようにも。
 海を生活の場とする文化を持つ千葉と、娯楽の場として提供する東京との間には、大きな隔たりがあります。

 千葉県側に多い簡易的な構造物は(右)、使用者が減り廃れる一方に見えます(漁業権補償絡みのデモ的な構造物?)。
 毎年「梅って気が早いよな」と感じながらも、徐々に花が開く間に小春日和の暖かな日があり、見ごろには春らしさを感じる陽気が増えます(三寒四温)。この花から感じられる季節感が、古くから好まれた様子を思いながら、今年の春一番は早かったと(2月4日)……


日本でのワクチン接種開始

 最初の接種が行われた病院長の「痛くありませんでした」のコメントは驚いたが、小児に限らず安心感を与えられる言葉として選んだのでしょう。まずは医療従事者の不安感を、少しでも軽減することが最優先なので、順番はいつかと考える時期ではなさそうです(もっとも進むイスラエルでも全国民の40%程度らしい)。
 日本の製薬会社の実力が、世界の足元に及ばないことがよくわかりました……

 首都圏では、新規感染者数の減少傾向が下げ止まるように見えます。国会議員の飲み歩く姿が、「緊急事態宣言でも飲める!」情報として広まり、夜間に出歩く人や、日中の人出が増えたようで、現在の制限ではこの辺が限度という印象を受けます。
 今後の選択肢には、徹底的に押さえ込むため一段と厳しい制限を求める、ワクチン接種が行き渡るまで現状維持で持ちこたえる、しかないように。現時点での制限緩和の選択は、東京五輪放棄の意思表示と受け止められそうです……


日本のラグビーが世界に認められた?

 ラグビートップリーグが開幕しました。詳しくないのですが、海外強豪国の代表選手が多数加入していると(南アフリカ、ニュージーランド、オーストラリア、スコットランド 等)、ニュースで目にしました。シーズンオフ(季節の違い)期間だけかもしれませんが、世界のプレーヤーの視野に日本が入ったことは素晴らしいことですし、残念だった昨年(途中で中止のためリーグ不成立)の分も盛り上がってもらいたい!

2021年2月15日月曜日

おとぎ話にしたい──浦安_3

2021.1.30【千葉県】

 緊急事態宣言時ながらも陽気がいいので、密ではなさそうな旧江戸川沿いを散策する中高年の夫婦が多く、地元を再認識した様子の言葉が聞かれました……



 以前は漁業の町として栄えましたが、工場排水 等による水質汚染や、舞浜沖 等の干潟の埋め立てにより漁業者が減少し、町は転換期を迎えます。継続を希望する漁業者のために(浦安市の海域は広い!)、上の堀江ドックが建設されます(1966年)。当初は船で埋め尽くされたらしいが漁業者は減り続け、現在は主に屋形船の発着場とされるようです。
 周辺を幼い少女と散歩している父親が「むかしここでじいちゃんがクジラを見たんだって。スナメリ(クジラの仲間)が迷い込んできたんだよ」と語りかけています。クジラの絵があった浦安魚市場も閉鎖され、おとぎ話のように聞こえそうですが、話だけでも受け継いで欲しいと……


 右は浦安市役所駐車場で、最上階の端に停められるのは市の公用車のようで、利用率の低い場所を使用しているのではないかと(この日は土曜)。運転者は足元を気にしても柵の下は眺めないため、気にならないでしょうが、近頃は立体駐車場からの転落事故をよく耳にしますから、下からは「落ちるなよ!」と言いたくなる光景です。

 隣接の浦安公園では、子どもたちが遊具を利用し駆け回っています。昨年の緊急事態宣言時は、遊具に「使用禁止」のテープでぐるぐる巻きにされましたが、われわれが1年間で学習した成果と受け止め、この先にも明るい展望を描きたいと。


 浦安市郷土博物館に展示される焼玉エンジン(上)は、緊急事態宣言の休館中でも手入れが欠かせないようです。これは旧江戸川から引き上げられたもので、製造元の鉄工所(静岡県土肥町)に依頼し、不足部品を作り直して復元したそうです。以前はポンポン船(焼玉船)として広く親しまれますが、そこまでの執念を持つのは浦安市だけらしい(「焼玉エンジンの始動が見られるのはここだけ」と自慢しているそう)。旧漁師町の名残りが点在する町を歩くと、そんな気質を理解できる気がしてきます……


 上の左右天命弁財天は、住宅地の窮屈な場所ながら池とともに守られ、地域の守り神として信仰される様子がうかがえます。
 その近くに大三角線(おおさんかく)という通りがあり、大三角とはご想像の通り、旧江戸川河口に広がった大きな三角州のことで、埋立地は舞浜(ディズニーランド周辺)となります。旧浦安町から浦安市となったのは1981年(ディズニーランド開業の2年前)で、埋め立て前の約4倍(4分の3が埋立地)の面積となっても県内で一番狭い市らしいが、千葉では一番有名かと。
 人の多そうな舞浜周辺には、まだ近づかない方が……


天災と人災

 東日本大震災の被災地で大きな地震がありました(東京も大きく揺れた)。電気・水道・鉄道 等に被害を受けましたが、犠牲者が出なかったことは何よりですし、協力体制に重要視される「スピード感」が共有される様子に、たくましさを感じました(素晴らしい!)。
 その一方で、感染症対策というのは長期間に及ぶため、引き締めの呼びかけを理解しながらも、時間の経過とともに徐々にルーズになる、人間の弱い面が感染拡大の要因に加わるため、人災といえる面もありそうと……

2021年2月8日月曜日

ニューノーマル初詣──浦安_2

2021.1.16【千葉県】

 地下鉄東西線の快速運転区間で唯一停車する浦安駅周辺は、鉄道建設以前から市街地があったようで、区画整理されない窮屈な印象に「密」を感じたりします……


 この日は新年3週目の週末ですが、右の清瀧神社(せいりゅうじんじゃ)に、密にならない程度の参拝者が訪れるのは、正月三が日の初詣を避けての呼び掛けに、応じた成果ではないかと。神社側も三が日のような受け入れ態勢に見えますから(露店は出ていない)、不便なくお参りできそうです。
 漁業の町だったので海の神が祀られますが、ことし初めての神社参りなので、やはり「疫病退散!」を。海の神とは、ワタツミ・ワダツミ(海神・綿津見)とされ、海を指す意味にも使われます(元ちとせ「ワダツミの木」等。リンク先Youtube)。以前は、境内にある富士塚(富士信仰の人工の山)から、富士山がキレイに見えたことと。

 緊急事態宣言が出ているため、古民家等の施設公開は停止されています。右の旧濱野医院(素敵な洋館)は、移築・保存されたもので、玄関前に「この建物で診療は行っておりません」の看板があるように、子どもに病院を選ばせたら、「ここがいい!」の意見が多いかもしれません。
 それらの建物は、元の清瀧神社参道に発展したらしいフラワー通り沿いに並び、漁業が盛んな時分は大変なにぎわいで、映画館もあったそう。当時の面影を残す建物は少なくなりましたが、何となしに曲がる道の「人懐っこさ」(まっすぐ帰れない?)に、吸い寄せられた人も多かったのでは?


 上は、浅田煎餅本舗の軒先で天日干しされる煎餅生地で、通常4日~1週間程度かかるそう。天日干しをすると、ミネラル(鉄分・カルシウム)、アミノ酸、ビタミン含有率が高くなり、旨味成分も高まるとのこと。店は側道+境川に面し日当たり抜群ですから、おいしい煎餅になりそう。
 右の民家も日当たりがよく建物は日焼けしそうですが、格子戸等の玄関周辺がとても明るく鮮やかで、手入れが行き届いているように見えます。父の実家も格子戸だったので、「ガラガラッ」の音に郷愁を覚えますし、家中に響く音は来訪者を伝えるチャイムの役目をしていました。
 右の豊受神社豊受姫大神:食物・穀物を司る女神を祀る)にも、密にならない程度に参拝者が訪れます。祭礼の告知である背の高い幟柱(のぼりばしら?)を目にすると、気持ちの高揚感を覚えますが、いまどきはどれくらい遠くまで見えるのだろうか?

 普段の年明けは、人出やにぎやかさに正月らしさを感じますが、人出が少なく静かな境内でも、新たな年への希望を祈る姿から、正月らしさを感じる新年となりました。
 節目は重要ですが、改まった気持ちで参拝する姿勢が大切であることに、気づくきっかけになるかもしれません……


2度目の緊急事態宣言の成果

 この期に及んでも、Go to トラブルメーカー(人災と感じる感染再拡大の元凶と目され、「首相にしてやるから、わかってるな」と裏で糸を引く背後霊)がブチブチと口を出すため、ようやく排除機運が出てきたようです。「感染拡大の恐れあり」と専門家に指摘されたにもかかわらず、トラブルメーカーに抵抗できず、「マスクと10万円」をばらまいて逃げ出した前任者とともに、失政(多くの死者を出した)責任をどう取るつもりだろうか? これ以上繰り返してはならないと、早期退場への機運が高まったことが成果のように……
 前任者の大盤振る舞い後の尻ぬぐいとはいえ、「最終的に生活保護がある」と放り出す態度(常套手段の先送り)は、拡大防止に努めた庶民を「平民」と見下す姿勢のようで受け入れがたいが、少ない年金に困った際は、上級国民が納めた税金の世話になることにします。


高校地理が2022年から必修科目に(2月5日放送 タモリ倶楽部より)

 番組内での現役教師によるGoogle Earthを利用した授業内容は、とても興味引かれるものでしたし、地理に関心のない女性ゲストが食いついた様子に、可能性を感じました。
 社会科とされる教科の中で、各地域の地理的条件により、独自の生活、産業、交易、文化が生まれ、発展したことを総合的に学ぶことは、ふるさとを見つめ直すきっかけになるはずです。
 番組では触れてないが、NHK『ブラタモリ』が大きな貢献をしたのではないか? と、勝手に思っています……(大学入学共通テストに番組の内容が出題されたそう)


大河ドラマ『麒麟がくる』終了

 信長の最期の言葉とされる「是非に及ばず」の解釈をめぐる物語で、本作では「盟友」に対する言葉としたようだが、信長と光秀の蜜月関係を描けていただろうか、との物足りなさが残る。
 光秀に関する資料は少ないようで、様々なサポート役や関係性が盛り込まれるも、どれも説得力や魅力が感じられないのは、先の見えない戦国時代の人物像としては仕方ないのかもしれない(争いのない世の希求が家康に受け継がれる系譜も、光秀存命中には描くことはできない)。
 出演者は健闘していたが(光秀:長谷川博己、信長:染谷将太)、輝きを放ったのは本木雅弘(斎藤道三 役)だったように……

2021年2月1日月曜日

宝の海の記憶──浦安

2021.1.16【千葉県】

 前回の旧江戸川から対岸の浦安を眺め、漁師町の面影が残る町並みを歩きたくなり、都心方面は気分的にNGでも千葉方面ならいけそうと、都県境の川を越えました……



 機会があれば酒の肴を物色に、と思っていた浦安魚市場は2019年に閉場され(建物の老朽化、耐震強度不足 等による)、市場の閉鎖には時代の移り変わりを感じたりします(店舗の移転先はバラバラらしい)。上奥は跡地に工事中のマンション(店舗も入る)で、道を挟んだ手前に海苔店がポツンと残りますが、その区画にも再開発の波が迫っているように見えます。
 名が知られるアサクサノリ(浅草海苔)は種の名称らしいが、産地の総州葛西(この周辺で、葛西に白子のり本社がある)ではなく、市場のあった浅草が名称とされたもので、品川周辺(大森?)にも産地の記録が残ります。


 新川(江戸時代に開削された中川と旧江戸川を結ぶ人工河川)を通る船が浦安を目指したのは、大正期に海水浴や潮干狩りでにぎわったためで、当時から観光向けの投網漁や、鵜縄網漁(鵜の羽根を付けた縄で水面をたたき魚を追い込む)等の遊漁船が出ていたそうです。
 海を生活の場としてきた周辺には、釣り船を運営する船宿が多く、この日も戻った船から多くの釣り客が降りて来ます(平塚の船宿のような活気がある)。感染対策を押さえていれば、大手を振って出かけられそうですし、晴天で風がなければ海上は極楽です(釣果は別…)。
 左側は排水機場の太い排水管ですが、浦安市にゼロメートル地帯はほとんどないそう。
 下奥は妙見島(江戸川区)の煙突で、手前のほうきは抗議の意思表示? だとしたらお見事!


 下の奥は、地下鉄東西線 第一江戸川橋梁(旧江戸川の鉄橋で、江戸川放水路の鉄橋は第二江戸川橋梁)、手前は旧江戸川と接する境川西水門(リンク先の桜の季節にも是非!)で、漁師町の風情を残す浦安らしい情景とされます。
 徳川家康は、江戸入りに際し周辺の塩田を直轄地とし、手付かずの江戸湾に紀州から漁民を呼び寄せ海産物を納めさせました。以前はマグロやクジラが回遊したようで、水路を埋め尽くすほどの船がひしめく、宝の海だったようです。そんな場所柄から魚市場が開設されますが(外壁にはクジラの絵がありました)、時代とともに面影は薄れていくようです……


マー君(田中将大 投手)日本球界に復帰!

 契約内容は別にしても、ヤンキースとの再契約の次に日本復帰を考えていたことを、喜ぶべきでしょう。まず日本人としては、東日本大震災から10年経過した現在でも復興途上にある、地域の人々の励みになってもらいたいと、思ってしまいます。
 現役大リーガーの復帰は、日本球界に大きな刺激となりますし、チーム内の若手投手陣にとっては、目標とする選手からアドバイスを受けられ、士気が高まることと。
 アスリートらしい清々しさを持つ人物なので(記者会見の受け答えは立派でした)、応援したいし、活躍を楽しみにしています!


伝説のコンサート“山口百恵 1980.10.5 日本武道館”

 当時テレビで見る姿には、特に引かれるものを感じなかったが、いま見ると「百恵ちゃんカッコイイ!」、これぞプロフェッショナルと感心しました。
 少し前に、「最後のソロアイドル:松浦亜弥」的な記事に接し、ひとりで舞台を背負い、駆け回る大変さを振り返りましたが、山口百恵の時分は舞台のセンターで歌い、曲の振りだけで引きつけるカリスマ的な魅力が必要とされましたが、十分魅せ切る輝きを放っていました。
 21歳で伝説とされたことが、ようやく理解できました……

2018年12月3日月曜日

Welcome ! では負けない──成田

2018.11.17【千葉県】

 千葉方面を歩く際に、成田空港行きの電車を見かけても「ちょっと遠い」と誘われなかったが、千葉県の締めにと気合を入れて足を伸ばします(片道2時間弱…)。寺も空港も数十年ぶりの訪問で記憶も薄れているため、新鮮に映りました。



 前回の訪問は30年以上前(印旛沼の現場作業の合間か?)と思いますが、にぎわう雰囲気は変わらないように感じます。当時は東京でも外国人旅行者をそれほど見かけなかったが、付近の密度はさすがに国際空港お膝元の印象がありました。
 外国人旅行者がこの地を訪れるタイミングは、帰りがけの時間調整ではないかと。わたしなら、航空機で到着したらまずは目的地(宿に荷物を置きたい)へ向かうと思うので、出発前に余裕があれば立ち寄ろうか、と考えそうです。
 一帯のにぎわいは期待を裏切らないと思うし、五ヶ国語のパンフレットを用意して、Welcome ! と歓待するインターナショナルな雰囲気は浅草に負けてませんが、外国人ってうなぎを食べられるだろうか?

 参道には、せんべいやうなぎを焼く香ばしい匂いが漂います。近頃うなぎを口にする機会が減りましたし、これだけ誘われては無視できないと思ったものの、人気店はどこも行列で値段もさすがですから、あっさりくじけてせんべいをかじります。
 これも30年以上前に、利根川の仕事で佐原のうなぎ屋(割烹旅館)に泊まり、出されたうなぎが美味しかった記憶がありますが、いまどきは輸入物になってしまったか。
 上は、江戸期創業の大野屋旅館(建物は昭和初期)で、3階建ての上に望楼があります(現在見学不可)。並びの大きな旅館は成田詣りの減少から廃業したようですが、現在も各地に成田講組織は健在で成田参詣が行われるらしい。
 右は成田山一粒丸三橋薬局(和漢生薬漢方)で、土蔵造りの店構えには、薬への自信が感じられるようにも。



 祭礼ではないのに境内に出店が並ぶ様子に、天気のいい日だけ店を開けば生活できそうと思ったりしますが、一等地なので競争は激しそうと。
 また、西側駐車場からの参道にある三角形の奥山広場には、飲食店・土産物店・易断所(占い館)が並んでおり、昭和な観光地風情が残ります。

 本寺は江戸時代の出開帳(本尊の出張公開)で関心を集め、歌舞伎役者 初代市川團十郎の不動明王の芝居が人気となり、成田参詣ブームが起こります。
 明治期以降、寺の「身代わり札」が「鉄砲玉から身を守る札」として軍人に信仰されたことから、戦争に積極的に協力したため信頼を失いますが、自動車の交通安全祈祷で支持を取り戻します。

 寺の起源は、平安時代の平 将門の乱を封じるため、京都 高雄山 神護寺の不動明王像を運び祈祷したところ、将門は戦死するも不動明王像が動こうとしなかったため、この地に神護新勝寺が開かれます。そのため将門を祭る神田明神の氏子等には、本寺を参拝しない風潮が残るらしい。

 いかつい容姿の不動明王が「お不動さん」として親しまれるのは、「煩悩の泥の中で人々を救済する」身代わり信仰や、真言宗、天台宗、日蓮宗、禅宗等多くの宗派で信仰され、身近な信仰対象とする人が多いためかと。

 付近の紅葉はまだ「色づき始め」段階でしたが、下の成田山公園 浮御堂の二胡演奏では、床の赤い敷物が日差しを受けて堂内を染めています。





 以前の記憶と比較すると、アジア系の旅行者が増えたため、欧米系の旅行者比率が低くなったような印象を受けます(エスカレーターで階下に降り出発ゲートへ向かったこと、いま思い出しました。映画でも観たと…)。

 先日京成線 勝田台駅から特急に乗った際、成田空港から乗車する外国人旅行者の多さに驚かされました。われわれは成田空港は遠いとの認識から、スカイライナー or 成田エクスプレスと考えるも、彼らは節約のため(?)在来線の特急に乗るのかと。
 そのアンサーは、空港駅の特急券購入窓口の行列が長いため、あきらめて在来線に乗る人が多い、だったようです。応対に時間がかかりそうで、わたしもあの行列には並ばないだろうと(個人旅行客が増えたせいもありそう)。

 ターミナル間(第一・第二)シャトルバスの女性運転手の日本語があやしかったが、国際空港という場所柄では海外出身の運転手がいてもおかしくないと、受け止める側も「通じればOK !」と寛容(?)になったりします。

 今回で一連の千葉散策は終了にしようと思います(やはり成田は遠かった…)。
 初めての場所が多く楽しく歩けましたし、開発が進められる地域には、神奈川県 横浜市の丘陵地と同様の課題を持つ様子が見て取れたように。現居住地は千葉県との県境に近いので、また出かける機会があると思います。

2018年11月26日月曜日

水源から砂浜まで──検見川(花見川)

2018.11.10【千葉県】──印旛放水路を歩く_4 検見川(花見川)

 印旛放水路がたどり着く東京湾には、千葉県自慢の人工海浜が広がります。都市部の生活環境は水源から砂浜まで管理下に置かれますが、そんな様子を印旛沼新川花見川〜検見川浜までの短い間で目にできました。


長作制水門


 ここは花見川最下流の堰で、この高低差は海から遡上する魚も越えられないようです(奥の汐留橋の名の通り上流は淡水域)。周辺でピチャピチャ水音がするのは魚たちが跳ねる音で、集まる釣り人を挑発するようにも。
 汽水域(淡水と海水が接する)付近に魚が集まる様子から、先日TVで目にした汽水域の潮目(上部が淡水・下部が海水)の映像を想起し、透明度が高ければ驚く数の魚を目にできるのだろうと。
 汐留橋を渡る道は畑を抜ける一本道となるように、宅地が広がる丘陵地とは違い、川沿いには穏やかな田園風景が広がります。右は花見川変電所で、一般的に変電所の立地は宅地から離れた場所を選定しますが、宅地側から迫ってきているように。




 ゴルフ場のように広大な土地で(実際にゴルフ場とされた時期がある)、食糧難時代には農場とされました。低地は沼や湿地だったようで、燃料不足の時代に草炭(ピート:湿地の植物堆積物を乾燥させ燃料にした)採掘の際、縄文時代の丸木舟や弥生時代後期のハスの実が発掘されます。その実を開花させた大賀博士からオオガハスと名づけられ、日本各地(千葉公園で目にした)や世界に根分けされ、現在も隣接の東京大学緑地植物実験所ではハスの研究が行われています(隣接道路も大賀ハス通りとされる地域の自慢)。

 1964年東京オリンピックの近代五種クロスカントリーコース、福島県のJヴィレッジ整備以前はサッカー日本代表の合宿地とされるなど(68年メキシコオリンピック サッカー日本代表(銅メダル)合宿地のゲンを担いだ?)様々なスポーツに利用される運動場で、この日はアメフトの練習をしています。




 ちょうど七五三の参拝が多く、本堂では多くの家族がお祓いを受けています。上写真の妹は千歳飴の袋を引きずっていますが、袋が縦長なのは早く大きくなぁれの意?
 お母さん自身にも七五三の記憶は残るのでしょう、子供たちの思い出に残る晴れの機会を作ることは、母親への感謝を子供たちに伝えるお母さんの晴れの場のようにも。お母さんのスッとした素敵な姿は、きっと娘たちに受け継がれることと。

 本神社は、平安時代に災厄消除のためスサノオ(ヤマタノオロチを退治した神)が祭られたことを起源とします。海を見渡せる丘陵地突端の立地から選ばれたように。
 付近で花見川を検見川(けみがわ)と呼ぶのは、旧表記の華見川に由来するらしい。



 隣接する日本初の人工海浜 いなげの浜、幕張海浜公園にある 幕張の浜と合わせ、千葉県自慢の人工海浜として日本一の長さ 4,320mを誇ります。
 砂を守るため防波堤を建設するも砂浜は浸食されるばかりで(主に江戸川からの土砂供給が減ったためらしい)、当初は力を入れていた千葉県も砂の供給を停止したため、自慢の砂浜は遊泳禁止とされますが(ウインドサーフィン等は盛ん)、浜辺やジョギング・サイクリングロードには人出が多く、近隣住民には欠かせない海浜公園のようです。
 付近にコアジサシの繁殖地があるらしく、下はそこで暮らす鳥たちなのか、近づいても逃げようとしません。
 右はオブジェではなくても、台座に乗ったブロンズ像よりも絵になると。




 沖合に白いセールが蝶のように群れる様子から、競技会が開かれていたようにも。ここは千葉市の施設で、付近の海は国体等でも利用される競技場で(東京湾最奥地のため波は穏やかで大型船等の航行が少ない)、ジュニアやヨット教室などが開催されます。
 ここは小型ヨット(ディンギー)がメインのようで、ボート置き場には大学ヨット部の所有艇が並んでいます。セーリング・ディンギーは風だけを動力とするヨットで、大学、高校、中学のヨット競技で使用されるそう。
 右は帰港時の様子で、2人乗りの狭い艇内でのロープさばきや移動の慌ただしさにはスポーツらしさが感じられ、ヨットの優雅なイメージとは違い、海に落ちることは織り込み済みで操船しているように。
 ディンギーという存在を初めて知ったのは、大滝詠一『君は天然色』の「渚を滑るディンギーで 手を振る君の小指から 流れ出す虹の幻で空を染めてくれ」からで、当時はあこがれ的な存在だった記憶があります。


追記── Ghosn With the Money(映画『風と共に去りぬ:Gone With the Wind』のもじり)は流行語に乗り遅れたか?(名前の表記はCarlos Ghosn)

 報酬の過少申告金額が80億円などと報じられるが、フォーブスの番付で今年ビル・ゲイツを抜いてトップとなったジェフ・ベゾス(アマゾン・ドット・コム)の資産額 1600億ドル(18兆円)と比較すると、小遣い銭のようにも感じられます(数字の比較はできても違いの大きさがイメージできません)。
 業績回復を託したのですから、リストラされた人々が彼を恨むことは違うと感じますが、彼にやりたい放題をさせた会社の経営構造はどん底時から改善されていないわけで、この先も多難のように……


追記──2025年大阪万博決定

 東京の五輪、大阪の万博の住み分けは、とてもしっくりくるような気がします。
 「1970年のこんにちは〜♪」では、時代背景からも国民が夢を抱けましたが、2025年にはどんな夢を見せてくれるのだろうか? 時代ごとに起爆剤となるイベントの必要性を感じるので応援したいと思いますが、オヤジにも希望を抱かせてくれる夢って、どんなものなんだろう……

2018年11月19日月曜日

人が開いた排水の路──花見川

2018.11.3【千葉県】──印旛放水路を歩く_3 花見川

 新川(印旛放水路)は、印旛沼側(利根川水系)と東京湾側の分水界とされる大和田機場から花見川と名称を変え、東京湾へと向かいます。



 以前も歩いた公園の南端には、傾斜地の高度差を利用したアスレチック遊具のコースが設置されています。
 右の男の子は、ゲーム効果音のように「ポヨン、ポヨ〜ン」と口ずさみながら跳ね降りてきますが、小さな女の子などは途中で足を止めてしまいます(左奥には歩道上に渡された橋がある)。
 ガキ時分の遊具というのは、鉄棒、ブランコ等が単体で設置されていましたがそれだけでは飽きるので、自分たちでコースを工夫して複合的な遊び方をした記憶があります。現在は変化に富んで楽しめそうな遊具が提供されるため、自分たちで工夫をしなくのではと心配になりますが子供はすぐに飽き流ので、そこから新しい遊び方を編み出すに決まってます。



 印旛沼から農業・工業・水道用水を安定取水するため、普段は酒直(さかなお)水門と酒直機場で利根川との取水・排水を行いますが、洪水時には利根川沿いの印旛水門を閉鎖し印旛機場から利根川に排水します。それでも印旛沼の水位が下がらない場合は、この大和田機場から花見川を通じて東京湾へ排水する体制が整備されています。
 ですが2013年の台風で、ここから花見川へ放水した際に下流の八千代市で浸水被害が発生しました。湖畔の取水・浄水施設(都市部の水源)を守ることが優先され、花見川流域は切り捨てられたとも受け止められます。ですが、自治体が地域住民の生活・財産保全に尽くそうとしても、この問題解決には予算と時間がかかりそうです。
 機場から排水の際は、右手前のようなスクリューで水を垂直に汲み上げるそう。




 川沿いを歩いてみると、本来の分水界は大和田機場より東京湾側だったように見えます(勝田川は機場南側から印旛沼に流れ込んでいた)。川沿い集落への影響、機場南側に谷地があった等の理由により、印旛沼側からの水路は機場以南に伸ばせなかったのではないか。
 開削区間でもっともインパクトがある弁天橋(心霊スポットとして有名らしい)付近にはかなり深い谷が刻まれ(1969年完成)、鳥の声しか届かない谷間に続くジャリ道には、千葉県で例えるなら房総半島方面のような雰囲気があります。ここは脇道のない長い一本道なので、通り抜ける場合はいいが戻るには同じ道を引き返すしかないため、それなりの心構えが必要な道です(適度な人通りがあります)。


 右(モノクロ)は、開削した法面の保護をしてないためか、竹林全体の地盤が崩れた様子(台風の雨も降ったし…)。両岸には、開削時の残土が積み上げられた山があるらしく、その斜面かも知れません。

 付近の流れはほとんど停滞しているように見えますが、道はわずかながらも下っているので、下流に流れを調整する堰がありそうと。
 機場周辺の地盤高は10m程度で水面はそれより数m低いため、東京湾までの流れにはほとんど傾斜はないように。ですが、東京湾からの逆流(高潮、大潮 等)対策のためには複数の堰が必要なので、流れが停滞してため池のようになるのは仕方ないことと。




 709年(飛鳥時代)行基(仏教を各地に布教したとされるスーパー僧侶で、奈良の大仏造立の責任者)が開いたとされる寺院で、仁王門の大わらじが評判となり、わらじを門に結ぶと足が丈夫になるとされます。上のミニわらじは子供用にしても小さいので、まだ見ぬ子供への祈りだろうか。
 境内にはいくつも社があり、それぞれ念入りにお参りして回る若い女性の姿には思いの強さが感じられるので、ジャマをしないように……



 上の天福寺に隣接する本公園の名称も、寺院の山号「花島山」(島:川に突き出した場所)に由来し、川へと続く谷地には渓流園、丘陵地には体育館、球技グラウンド、テニスコートなどがあります。
 右の男の子は、流れの堰に溜まった枯葉に潜んでいるザリガニ(?)等を狙っているようです。水を含んだ枯葉は重いため網が折れそうですが、目のつけどころはこれまでの経験によるものか?
 ここは人工の水辺ですが、水が湧き出す池の周辺にカメラの三脚が並んでいるのは、カワセミが見られるためではないかと。鳥の姿を求める人々が集い、語り合える機会が生まれたのですから、自然を模した公園整備の成果はあったように。


追記──前田健太(ロサンゼルス・ドジャース)の恩返し

 日米野球で広島を訪れた際、米大リーグ選抜(MLB)チーム監督らと原爆慰霊碑に献花をする姿を目にし、広島カープファンは彼を再評価したのではないか。
  2015年までカープに在籍した前田投手が、MLBメンバーとして広島球場のマウンドに立つだけでなく、被爆都市である広島市民の思いを野球を通じて発信したことは、彼をこころよく送り出した広島ファンや広島市民に対しての恩返しになったのではないか。
 来年は是非、ワールドシリーズ制覇をしてもらいたいと。

色あせる思い出──いなげの浜

2021.4.10【千葉県】  ここは埋め立て事業により失われた浜辺を、日本初の人工海浜として復活させたものですが(1976年)、侵食の影響が大きいため保全は大変そうです……  ディンギー(キャビンを持たない小型の船舶)を目にすると、条件反射のように 大瀧詠一「...